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明日は入居支度進まぬ雪催

とうとう母が有料老人ホームに入居することになった。内臓疾患があり通院は欠かせないし、認知症も進んできた。目も悪い。
ホーム入居が決まってから、私はなんとなくモヤモヤしてきた。潜在的にやっぱり自宅でしょ、という父の思いや、やはり自分の中に植え付けられた固定観念のようなものがあって、ホーム入居を受け入れられなかったらしい。
しかし、この固定観念は、自分の中から湧いてでたものではなく、父母に植え付けられたわけであり、そのことにも気づいた。

さて、次に、施設の入居にあたり、看取りの希望を確認する書類が父に渡された。

看取り希望は、3択。ホームでの看取り。自宅に帰る。入院する。
これも、父は、迷わず、自宅に帰る、を選択。
流石に私は父に質問をした。
終末期が長くなる場合、痰の吸引とか、下の世話は誰がやるのか?と。
答えは、そこまで考えていなかったと。
父の淡い清い末期のイメージと、現実はやや違うのだ。

今、ビジネスケアラーが注目されているが、それもどこかに、親の期待に応えたいと無理をする子供たちの姿が見えるような気がする。
自分も、実際に介護をやってみて、人間は必ず死ぬのであり、そのためにどう死にたいかをオープンに話すことの大切さを感じた。

そもそも、看取りの希望を本人に聞かないのも問題なのだ。

とはいえ、ホームに入った母は、うれしそうに、ここのご飯とても美味しいのよと、私に話してくれた。
ホームに入るという選択ができた母は幸せものなのかもしれない。
活気が出たようにも思う。
やれやれ、良かった、である。

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