◇ポップコーンに弾ける心

わたしが足を運ぶゲームセンターは、ファミレスや温浴施設、ボウリング場、映画館といったものが集まる施設にあります。だから休日ともなると、家族連れでとても賑わう。
そして時に、ゲームセンターのある1階にポップコーンの匂いが強く漂っていることがある。映画館は2階なのだけど、エスカレーターですぐ行ける範囲。だから届いてしまうんですね。

ポップコーンは、わたしにとって少し思い入れのあるスナックです。
あの愛らしい形と独特の食感、シンプルな味わいが好きなんですが……何より惹かれるのは、弾けるっていうところ。
自分でもポップコーンを作ってみたい、と思ったことがありました。小学生の頃かな。コンロにかけるだけでポップコーンが出来上がるという、トウモロコシが封入されたアルミ製のフライパン。あれを、母にせがんで買ってもらったんです。

コンロにかけてしばらく待つうち、ぺったんこだった表面が次第に膨らんでいく。むくむく。わたしの期待もいっしょに膨らんでいく。むくむく、むくむく。
最初にぽんっ、と聞こえたときの驚き、そして喜びといったら。増えてゆく破裂音は、軽快な音楽のようだった。合わせて弾む、わたしの心。やがてすっかり聞こえなくなると、名残惜しくて、ちょっと振ってみたりする。また音がしないかな、なんて。

諦めてコンロから下ろし、包みを開けたとき……真っ先に感じ取ったのは、焦げた匂いでした。中を探ると、黒ずんでいる部分に気づく。でも気持ちが沈むことはありませんでした。
焦げた部分を口に入れて、にがーい!と言って笑い、弾けずに残ったトウモロコシを噛んでみて、かたーい!と言ってまた笑い。
正直、成功とはいえない出来。でも満足だった。わたしが作ったんだ!という誇らしさにも似た感情を抱いていた。
……コンロにかける以外、何もしていないんですけどね。

その一回で充分だったのか、以来作ることはありませんでした。そりゃあ完成品として売られているポップコーンのほうが、美味しいに決まっている。焦げてもいないし、弾けのこりもないし。
だけど大人になった今でも思い出すのは、どうしてだろう。失敗としてではなく、宝物のように感じるのは、何故だろう。

もしかしたら、わたしが二度と作らないのは……その最初の一回を、特別な記憶として留めておきたいからなのかもしれません。何度もこなすうちに作り慣れてゆくことが、そして自分で作ったのだという誇らしさにさえ慣れてしまうことが、なんだか怖かったのかな。

ポップコーンを口にする機会もずいぶん減ってしまいました。それでも、わたしにとっては思い入れのある、特別なスナックであることに変わりはありません。