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『フォリー・ベルジェールのバー』byモネ:都会の喧騒のさなかの憂鬱

パリのフォンダシオン・ルイヴィトンで、コートールド(Courtauld)展を見た。コートールドは、画家ではなく、20世紀前半に活躍した、イギリスの実業家でコレクター。

繊維会社で、シルクの代替になるヴィスコースという繊維で儲かって、成功した。実業で儲かった金で文化に寄与するという、博愛主義的精神の人物として、知られる。エライ。

コートールドは、まだ印象派の評判があまり良くなかった時代に、特にセザンヌの絵に衝撃を受け、ロジャー・フライなどの先進的美術批評家と交流しながら、イギリスに印象派の絵を、いわばせっせと輸入した。イギリスのアート環境を、充実させるためである。

かれのコレクションは、印象派と後期印象派の絵がほとんどであり、それらはコートールド・ギャラリーに寄贈され、それを母体に、美術史を大学で研究するという環境も作られた。まさに文化的功労者である。

ロンドンのコートールド・ギャラリーは、改築中で、絵は海外を巡回している。昨年は日本でも展覧会が行われた。今は絵が描かれたパリに里帰りしている、というわけ。

このコレクションでいちばん人気がある、ポスターになっている絵は、マネの『フォリー・ベルジェールのバー』である。フォリー・ベルジェールは、1869年開業のミュージックホール。さまざまなアトラクションが行われて賑わいをみせた、大人の社交場だった。バーメイドつまりホステスは、娼婦的な存在でもあった。

マネもここに通ってせっせとデッサンを描いたが、実際のバーメイドをモデルに用い、絵はアトリエで完成させている。この絵の完成の翌年に、マネは亡くなった。

当時の風俗であるミュージックホールが生き生きと描かれているこの絵は、写実主義の絵画である。しかし、話はそう一筋縄ではいかない。この絵の魅力は、風俗が写実的に描かれているように見えて、どうも何か変だ、というところから生じている。

この奇妙な感じは、じつはバーメイドの向こうにあるのは大きな鏡だけだ、ということからきている。つまり、バーメイドとカウンター以外、そこに描かれているものはすべて、鏡の反射なのである。右側に見える後ろ姿は、シルクハットを被ったお客に対応している、中央の彼女だ。

しかし中央のバーメイドは、お客と話をしているような感じではない。鏡に映った女性の後ろ姿と対応する彼女の位置は、実際には、より右側になるはずだ。しかし、そうした写実的な絵図を捨てて、マネは彼女を中央に持ってきた。

まるで、右側の鏡の反射は、表面的な彼女の振る舞いに過ぎず、中央の彼女のうつろな表情が、彼女の心を現しているかのようである。

鏡に反射されたパリのナイトシーンの喧騒を背景に、かれがより鮮明な筆致で本当に描いたものは、猥雑な風俗の世界で働く彼女の、生活に対する虚脱感である。ツヤツヤしたオレンジは、マネがしばしば、娼婦の象徴として描いたものだ。

一見写実主義だけれど遠近法がめちゃくちゃな、『フォリー・ベルジェールのバー』。この絵が見るものを惹きつけるのは、そこに、そうと口に出しては言わない、言えない、バーメイドの心の叫びが、描かれているからなのだ。

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