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セザンヌと過ごした時間:セザンヌの絵に霊感を与えた、光と色彩の中につつまれる僥倖

フランス近代絵画の父ポール・セザンヌと、自然主義を定義した小説家エミール・ゾラ。セザンヌは裕福な銀行家の息子。父親が亡くなったゾラは、貧乏だった。いじめられていたゾラをセザンヌは理解し、かれを助けた。二人は、かれらの不安や反抗心や夢や希望を共有し、熱い友情をはぐくんだ。

先鋭な才能を持つ個性のぶつかりあい。その友情の軌跡に、尋常ならぬ浮き沈みがあったのは、いうまでもない。幸福な結婚をし、金のために書いていると揶揄され、アカデミーにも落選したものの、次第に名声を高め、ブルジョアになっていくゾラ。一方のセザンヌは、モデルであったパートナーと別々の生活になっても、引きこもって自分の表現を追求しつづける。

そんなセザンヌをモデルに、ゾラが『制作』(1886)を書いたことから、二人は絶交した、とされていた。しかしダニエラ・トンプソン監督は、この映画のために準備する過程で、その後も二人が会っていたのではないか、という仮説を立てた。

トンプソン監督は、セザンヌの絵、ゾラの作品、ふたりの伝記や手紙などを研究し、二人が少年時代を過ごした南仏エクス=アン=プロバンス(Aix-en-Provence)や、かれらがのちに住んだ場所である北のメダン(Medan)の自然や景観の世界に、徹底的に没入した。そうした研究を重ねた末での、彼女なりの考えだったのだろう。

ところが1887年に、セザンヌがゾラに書いた、「会いにいくよ」という手紙が、なんと2014年に発見されてオークションにかけられたというから、驚きである。もちろん実際に会ったかどうかは、わからないのであるが。このときトンプソン監督はすでに、脚本を書き上げていた。映画は2016年公開。

映画をたんなる美しい絵の再現にはしたくなかったという、トンプソン。セザンヌの完成した絵の再現ではなく、かれの葛藤と、人生=芸術の生成過程を描きたかったという。セザンヌが生き、セザンヌに霊感をあたえた時代と空間、自然の景観、場所と地理を、撮影監督は入念に再現した。

その結果観ているわれわれは、セザンヌの絵がそこから生まれてきた土地の、自然、光、色彩の「絵」のなかに包まれるという、僥倖にめぐりあう。いわばセザンヌの芸術の過程を、追体験できるのだ。まさに映画を観ることでしかできない体験である。

セザンヌがセザンヌになったのは、55歳から65歳にかけての、晩年の10年間だった。何十年もの追求の結果、ついに自分の表現を獲得し、現代絵画の父といわれるまでになる。もちろんかれは、そんなことは知らずに亡くなる。

セザンヌのいない世界など、まったく考えられない。こうして芸術に人生を捧げる天才がいるからこそ、われわれはかれらの芸術を享受できる。

そしてかれらについて研究すること、それを映画や文学などに再現して鑑賞することによってわれわれは、文化遺産を継承し、発展させていく義務を負っている。

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