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即興/握るマイク

 即興

 「じゃあ、あそこに混ざってきてよ」
渋谷駅前スクランブル交差点。麻耶はツタヤに面した路上の一角を指差した。
 「きみ、ラッパーなんでしょ」
 麻耶の挑発的な発言にも、隣を歩く航輝は「まあそうですけど……」と歯切れが悪い。
 思えば今日一日、この男にはずっと退屈しっぱなしだった。麻耶はため息をつく。ランチタイムに待ち合わせたものの、行く店すら決めてないし。麻耶が選んだカフェでは「美味いっすね」しか言わない。緊張しているのか歩いていても会話は弾まず、服を買いに行ったマルキューでは「似合いますね」の一点張り。
 「次、どこ行きます?」と聞く航輝に業を煮やした麻耶は、言ったのだ。
 ラップバトルをする集団の円を指差して。

 「きみはホールよりSPみたいだね」
 デートに誘われたのは麻耶が働くダイニングキッチンで、航輝はアルバイトでホールに入ってきてまだ二日目だった。彼はがっしりとした体躯に、髪型はサイドと襟足を男らしく刈り込んでいる。麻耶が航輝を見上げて言うと、「いや、自分ラッパーなんす」と彼は頭を掻いた。

 航輝は、のしのしとティンバランドのブーツでサークルに入っていく。飛び入り歓迎らしい。「おっ」「なんだなんだ」「カマセ! カマセィ」男たちは声を上げる。中央にはドデカいスピーカーが鎮座していて重低音を響かせていた。
 ドレッド頭の男が航輝にラップを放つ。
 「ここは渋谷の路上 一見さん お断りせずにバサバサ言葉狩り まさに異次元さ 小手先のスキルなら意味ねえな 幾多の情報 の中てめえ自身を聞かせてみな」
 歓声が上がる。航輝も応えた。
 「小手先か知らねえが拝見したお手並み 数秒後には俺にしてるよオマエおねだり モテたいくらいの気持ちでラップしてるんじゃねえ 俺は思ってる常に自分自身を超えたい」

 「なんだ、喋るんじゃん」
 麻耶は航輝がマイクを持つ姿をまじまじと見る。
 「好きなんだ」
 航輝は言う。
 私、なワケないか。

 今のきみなら退屈はしないのに。


 握るマイク

 「俺は東京都シブヤで堂々とイルなラップ」
 イヤホンから流れる、ヒップホップのインストを聴きながら、韻を踏んだ。
 道玄坂を上り円山町へ。パーカーを深く被り雑踏に紛れる。マスク越しに漏れる声は路上に落ちていく。俯く俺の顔が水溜りに映る。雨上がりの渋谷。
 「トウキョウトシブヤ……ホンモンノキズナ……豆苗とイクラ……」
 ああ、腹減ったな。
 当てもなく、今日も俺は渋谷のストリートを歩いている。
 
 東京でラッパーになる、心に夢だけ携えて俺は岡山県から上京した。十九歳。去年の春の事だ。
 あれから一年が経ち、一体何が変わっただろう。状況は最悪と言っていい。
 音楽イベントは軒並み中止に追い込まれた。
 音源をクラブに持ち込んでもオファーはない。
 食べるためにバイトをするだけの毎日で、祈るようにラップを口ずさみ、明日を探すようにアスファルトを徘徊した。
 「大学に進学、ジモトで就職、何にも所属できずに孤独 同じ瞬間だろと叫んでは踊る」
 代々木公園。ここには俺みたいな若者がわんさかいた。
 古着屋の店員、ドレッド頭のバリスタ。二歳からスケボー乗ってる生粋のスケーター。美容師見習いのオシャレガール。頭の良いヤツも悪いヤツも、とにかく色んなヤツがいた。
 「路上で転がる名もない石かも。いや俺はシブヤで輝くダイヤモンド。マスク越しでも伝えたい言葉 コロナ 大人 この場 届かす」
 渋谷とは思えない広大な敷地で、人目を気にすることなくラップした。夜になり辺りは静かだった。
 パチッ、パチパチ。
 手を叩く音が聞こえて俺は辺りを見回す。
 スウェットを着た女が階段に座っている。歳は俺と同じくらい。被っている黒のメッシュキャップには『不眠不休』と書いてある。ファッションセンスはないらしい。
 「アンタ、ラッパー?」
 女は安物のワインボトルを俺に投げた。
 俺は反射的に割れないようキャッチする。

 「マイクくらい持たなきゃサマにならないよ」
 夢は、地面に近い場所にこそ転がっている。
 SHIBUYA STREET。俺たちの街の話だ。


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