考えごと

子どもと関わる仕事をしている。人様の子どもだから温かく関われるのではないかと常に思っている。

これが自分の子どもになったら?

距離感間違えそうで怖い。

自分の思いでコントロールしてしまうのではないか、自分の叶えたかったことを子どもに託してしまうのではないか、子どもの事を信じられず自分の管理下に置いて安心したくなってしまうのではないか。

自分みたいな思いをさせたくないは、常にある。

それは、職場で関わっている子どもたちにも感じてしまう。すくすく育ってほしい、自分の気持ちを大事にしてほしい、生きるって楽しいと感じてほしい、人間ていいなって思ってほしい。人の目なんか気にしない強さと柔らかさと力強さを身につけてたくましく生きてほしい。

そんなふうに理想的に思う反面、人はどうせ欲の塊で、自分が一番大事。理不尽な世の中、いい人は搾取されていくんだ。生きるの辛いなんて、そんな事も思ってしまうのだった。

そもそも、自分は子どもが産めるのかというのも疑問だけど、そんな事を時折考えてしまう。

本当に、子どもが欲しいのか?子どもに関わる仕事をしているから子育てしないとと思っているのが、強いのか?

とまた考え出してしまう。

NHKドラマ、恋せぬふたりの最終話を見返した。
さくこ(岸井ゆきの)と高橋さん(高橋一生)は、いいとこ取りで自分の叶えたい事と相手の叶えたい事を尊重しあい、新たな家族の形を提案していた。

それによって高橋一世は〝生まれてはじめて思っている。こんな人生も悪くない。〟と肯定できるようになり

岸井ゆきのは〝私の人生に何か言っていいのは私だけ。私のしあわせを決めるのは私だけ。〟と力強くなっていった。


さくことさくこの母親が話すシーンもあった。
さくこの母親は、自分の経験した事が幸せ(ざっくりいうと結婚して、子どもを産んで暮らす事)だと思っているから、その枠から外れるさくこを認められなかった。でも徐々に、さくこの事(アロマンティックアセクシャル、恋愛感情を抱かない)を理解し、自分の経験した幸せを押しつけていただけであって、さくこなりの幸せを見つけて欲しいと応援するようになっていった。

おそらく私の母も、自分の今の生活こそが幸せの最上級だと考えるから、同じことを望むのだろうなと理解した場面だった。

自分の感じている世界が全てではない事、自分の考えが絶対ではない事、いろんな人がいる事、だからこそ理解しようとする事が必要なのだと思う。理解できないなーと思ったら離れたらいいと思う、もしくは、そこは自分とは違うのだなーと事実として受け止めたらいいと思う。

その気持ちがお互い持てる人とだったらずっと一緒にいられるのかなぁと思うのだけど。これも理想なのかな。

今の生活は割と気に入っている。

仕事があって、職場の人に理解してもらえてる部分もあって、以前よりも関係が良好な家族がいて、気の合う友達もいて、思いやり持って接しあえる人がいて。

幸せって思う反面、一緒に絶望感もやってくる。ふとした拍子に、ネガティブな事考えてしまう。なんとなく、子宮頸がんの定期検診行ってることと、去年子宮筋腫の手術したこと話してない。子どもの話も。

その時点で相手の事を信用してないのかとかネガティブに思ってしまう。

幸せはっぴー!!!毎日が楽しい!きゃぴきゃぴ!とならないのが私らしいよねって話。

いつかいつか話せたらいいな。

それでだめなら、猫を飼おう。
最終的に猫はかわいい。
猫はすべてを救ってくれる。
と思っている。

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