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ピーナッツをぐりぐりとすり潰して

節分の日に、家族みんなで豆を撒いた。
なるべく片付けが楽に済むよう、殻付きの落花生を投げた。その時の落花生が余っていたので、ピーナッツバターをつくってみようかな、なんて思い立ったのが午後のこと。

わたしは意外とピーナッツバターが好きだと思う。
意外とというのは、自分ではそんなに好きだと思っていないのだけれど、なんだかんだでピーナッツバターを買い物カゴに入れることが多いし、使い切ってしまうのも早いので「意外と好きなんじゃん」と気づいちゃったわけ。


ところが最近、ピーナッツバターを食べていない。
というのも、めっきりパンを食べなくなったからだ。


今まではパン大好き人間だったので、朝は必ずコーヒーとパンを食べていた。カリッと焼いたトーストに、ピーナッツバターをベタベタと塗りたくって、えいやっと齧り付く。朝の楽しみだった。

でもパンを食べなくなると、ピーナッツバターも食べなくなるらしい。そのまま食べるには少し食感がしつこいし、料理に使う気分にもなれない。

パンと縁遠くなったら、思いがけずピーナッツバターとも疎遠になってしまった。


落花生の殻を割って、小さな実を取り出す。
茶色い薄皮をそっと剥がすと、白くて丸いやわらかな実が顔を出す。それらを集めて、すり鉢に次々へと放り込む。

フードプロセッサーでガガガガとすり潰した方が早いのだけれど、ここのところフードプロセッサーの調子が悪いので「すり鉢・すりこ木」というアナログな方法で潰していく。

硬いピーナッツが少しずつ崩れ、なめらかなペースト状になっていく。


最近、心がひどく荒んでいる。
焦りだとか嫉妬だとか、そういうものが心の中に混ざっていて、ジャリジャリと音を立てながら、不快感を生み出している。

人と比べたところで、ちっともいいことなんてないのに。それはもう、幾つもの経験から知っているはずなのに。なのに、どうして。


ピーナッツをぐりぐりと潰す。
ガリっと小さな音を立て、粉々になる。
わたしの心に落ちている嫉妬や焦りなどの醜い塊も、ぐりぐりとすり潰してしまえたのなら。


ひたすら無心になってピーナッツを潰していると、少しだけ心が軽くなった気がする。何かに夢中になるなんて、とても久しぶりのことだった。たまには心の中を空っぽにするのも、いいのかもしれない。

瞑想はメンタルケアに良いと聞く。
明日から、やってみようかな。

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