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めったにない凄い小説「荒涼館」

チャールズ・ディケンズの小説はどれもデイヴィッド・コッパーフィールド的と言えるようなものが多いのだが荒涼館は違う。

そして荒涼館を読まなかったらディケンズの本当の凄さはわからないだろう。作風が違いすぎてその他の小説ほど売れなかったのかしばらく絶版になっていたが、筒井康隆が新聞で書評したのをきっかけに再販され日の目を見ることになった。
 
だれも始まりを知らず、いつ終わるともしれないジャーンディス対ジャーンディス事件の訴訟がいつまでもからみつく蜘蛛の巣のように鬱陶しい。
詳細は明らかにされないがやがて読者はその詳細などどうでもよくなってしまう。物語は一向に進まないのに登場人物だけはどんどん増えていく。そしてその一人ひとりの描写が荒涼館の真骨頂である。

小説の世界は多重層を成していくが、肝心の物語が進んでいかないから読んでいるこちらはもどかしくて仕方がない。物語の筋を追うという一般的な小説の読み方を完全に逸脱してしまっている。すごいとしか言いようがない。
 
さすがに後半に差し掛かってくるといつものディケンズ調が戻ってきて、物語の見通しもだいぶよくなってくる。主人公を中心とした進行がこれほど小説を読みやすいものにしているのかと感動さえ生まれてくる始末である。
 
結局ジャーンディス対ジャーンディス事件の訴訟などどうでもよかったものだったのだが、全体を通して話の中心に居座っていたのだからさすがである。この世には面白い小説とか感動する小説というのはいくらもあるが、読んですごい小説というのはなかなかないのではないかと思う。荒涼館はすごい。

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