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【千癒/エッセイ】ちいちゃんは、死ぬ方が幸せだったのか?

【回想】

小学生時代の、国語の時間。
カセットテープからの読み聞かせ文が終わり、
狭い教室で、少しの静寂。

『せんせーい!千癒ちゃんが泣いてまーす!』

私は俯き、堪えた。
それでも、溢れ出る。涙が、ポロポロと。

【ご挨拶】


こんにちは。稲葉千癒です。
今回は、小学生の頃の体験から書いています。

『ちいちゃんのかげおくり』
というお話を、ご存知でしょうか。

こちらの記事に、
物語の全文が記載されていたので、
改めて読む方、初めての方は
こちらをご確認ください。

小学生の頃、国語の時間に習った方も
多いのではないでしょうか。
※上記の記事には昭和61年から掲載とあります

この国語の授業で
当時の担任の先生から
とある【テーマ】を持ちかけられました。

その時の記憶(だいぶ曖昧な点もあるけど)を
こちらに記したいと思います。

【私の授業中、号泣の理由】

回想の続きです。

私は授業中にも関わらず、号泣していました。
理由はシンプルです。
物語が悲しくて仕方なかったから、です。

なぜなら、
私の名前(あだ名)も『ちいちゃん』
でした。

また、家族構成も、物語と同じ、
両親・兄・妹(自分)の4人家族でした。

『ちいちゃん』への感情の入り込みが
客観的ではなく、主体的になりすぎて
本当に家族を喪失した気持ちになっていました。
※この辺りの本音は記憶曖昧ですが、
とにかく自分の体験レベルの気持ちだった

当時、読み聞かせはカセットテープでした。
淡々と、時に緩急のある真に迫る読み方は
私の心に充分すぎるほど届きました。

ぐすっ、ぐすっ、ひっく。

啜り泣きを止めることは出来ず、
下を向いて堪えるしかなく。
同級生の男の子には揶揄われました。

揶揄われた記憶はありますが、
先生からは何も言われなかったと思います。
ソッとしておいてくれて、感謝しています。

※余談※
小学生だからこその、感情の揺さぶりかなぁ
と思いましたが
今読んでも嗚咽出そうなくらい涙が出たので、
単純に、感情移入する体質のようです

授業中、周りに
泣いている子なんて居なかったと思います。
※自分に必死で気付いていないだけかもですが

テープでの読み聞かせがある日は稀なので
複数回ある授業で
毎回泣いてはいなかったですが
音読などある時は耐えたり、
ちょっと泣いたりしていました。

【先生からの議題】

そんな中。
先生が物語について話し合ってみようと、
とあるテーマを出しました。

〔ちいちゃんは、物語の最後、
生きた方が良かった?死んだ方が良かった?〕

※ニュアンスで記載しているので
本当のテーマは違ったかもしれません。


みなさんは、
『ちいちゃんのかげおくり』を読んで
『ちいちゃん』の物語のラストは
どうなって欲しかったですか?

かげおくりの出来そうな空。
こういう空だろうか。

【私と周りの気持ち】

私たちは、小学3年生くらいの子どもです。

パパ、ママ、兄弟姉妹がいることが
当たり前で当然と思っている世代。


どんな話し合いがあったのか、
どんな意見が飛び交ったのか、
詳しいことは覚えていません。

ただ、私以外の同級生の結論は

ちいちゃんは死んだ方が良かった。 
家族と同じところに行けて幸せ。

というものでした。

そういう記憶に塗り替えているだけかもですが
私には強烈にショックな意見でした。


私は『ちいちゃん』だったからです。

生きたい。
例え、家族が隣に居なくても。
辛くても悲しくても。

家族が何処にも居ない痛みや辛さ、
経験したことが無いからわかりません。

『物語』として受け止めて、
想像力を働かせて、、周りと議論する。
もしかしたら、
タイトルや家族構成が違えば
私も、
家族は一緒が1番!と思えたかもしれません。

でも、これは『私』の物語だから。
私の答えは、気持ちは、
『それでも、ちいちゃんは生きていたい』
でした。

【皆の意見のまとめと、先生からの意見】

授業の話し合いテーマに対する生徒の『回答』
グループごとではなかったので、
クラスとして意見を統一する必要がありました。

始めは数人、
生きてた方が良かった意見の子もいましたが
家族は一緒が良い、1人は辛くて悲しい
という意見に共感して、

私は『生きてた方が良かった』意見派の
最後の1人になりました。

意見をよく発言出来る男子と
言い合いのような話し合いが続きましたが
とうとう、私は納得しないままま
『死んだ方が、、、良いと思います』
※だいぶ暴論な言い方ですが
と、意見を変えてしまいました。


生徒たちの意見がまとまるまで
何も口を挟まなかった先生。


先生の意見は
『生きて欲しかった』
という内容のものでした。

理由とか、どうしてそうなのか、などの
細かなことは忘れてしまいましたが。

『私だってそう思ってたのに』
『意見変えたことで
私の意見が無かったことになって悔しい』

そんな気持ちも湧いていましたが。
何よりも、1番想ったのは


『でも…ちいちゃん、生きて良かったんや』


ということでした。

私の『生』を肯定してもらったような
なんともいえない
安心があったことを覚えています。

【今、読み返して想うこと】

あの頃は、授業で習い、
テーマを与えてもらって感じたことを話し合う。
そういう物語の読み方をしていましたが。

今は、自分が親になり、子供が側にいる環境で
読み返しても、もう
『ちいちゃん』の立場では読めません。


ちいちゃんの寂しさ、怖さ、心細さ。
家族との楽しい想い出。
必死に子を想うお母さんの心、
無邪気な心と、世の中の残酷さ。
ただ、ただ、戦争の痛ましさ。

戦争というだけではなく、
1人になってしまった子供の
生き抜く力の、非力さ。
保護する大人の重要さ。

小学生の頃とは違った目線で
やはり、感情移入してしまいます。


私の子供が成長した時に、
『ちいちゃんのかげおくり』を一緒に読んで
何を想うのか、いつか話し合ってみたいです。

今は、子供は『アンパンマン』に夢中です。

【最後に】

このエッセイ書くの、苦労しました!
『ちいちゃんのかげおくり』は
読書として読み返すのもシンドかったです。

あの頃の自分も、まだ心に存在していて
少し自分と重なる部分があるのでしょう。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
来週も不定期更新ですが、
よろしくお願いします。

稲葉千癒🍀

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