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自分がさせて貰えなかったことを許す

本当に危険なことや人に迷惑なことは別として、子どもにやってほしくないことがある時。

私の場合は、だいたいが
「自分はやらせてもらえなかったから」
という動機が裏にあることが多いです。

私の育った田舎では、とかく「人様の前で恥ずかしくないように」という理由で、家では厳しく躾をするべき、というのが子育ての主流だった。田舎に限らず、全体的にそうだったのかな。そういう、ある意味で普通の家でした。

それが今では人の目よりも個性を大切に育てなさい…という意識が大切と言われたり、思い切り甘えさせてあげよう、自由な発想を許してあげよう、という子育てが主流になりつつあります。それには、大賛成。

でも、私の育った常識と、子どもの自由な行動にあるとき…
あまりにもズレがあるとき、どうしても混乱する自分がいました。

ふっと昭和的な視点にもどってしまうときがあるのです。
「お行儀よくしなさい!」「こんなことしちゃダメでしょ!」「恥ずかしいよ!」と。

そんなとき、それを言うのもストレスだし、、
黙っているのもストレスで…苦しかった。

そして追い詰められた末、自分の葛藤を少しでも静める言葉を思いつきました。

「…。君が大きくなったら、私が君に許したように、小さい子に同じようにさせてあげるんだぞ…。」

苦し紛れでしたが、すこし気楽になりました。そう胸の中で唱えるだけでも。

そうだ、自分のこの意識や行動が
世代を越えて伝わっていくんだから。

過去の私の言葉のせいで、
この子が大きくなったとき、小さい子や年下の子に怖い口調で指導していたら
胸が詰まるもんな。


だから葛藤が強いときはこれで乗りきる。
「それ、私はやらせてもらえなかった…でも…。
君が大きくなったら、同じように小さい子にそれを許してあげておくれ。」

子どもからしたら意味が分からないかもしれないし、条件付きみたいで多少嫌な思いもさせるのかもしれないけど…。

子育てを大局的に見ることで自分の今の立ち場とか役割が分かってきて、
自分の中の叶わなかった子ども時代の願望とか、憤りを手放せるというか。

世代間のギャップをなだらかにさせるというか。
丸く納めるというか、うやむやにできるというか。

少しだけ、子育てが気楽になる言葉のように思うのです。

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