見出し画像

10年昔記事(2013.11)・・・自分自身が見えた時

 人は、一生懸命な時が最も光り輝く瞬間である。頑張っている時こそが、その人らしさが最も輝く瞬間である。優れていると褒められ、他者から認められる場所にいると、しばしば満足感に包まれがちだ。

 それが、若くして起業してから数年間の筆者の心情であった。当時、青二才の筆者は、これが唯一の真実だと思い込んでいたが、今に至っては、それは大きな勘違いで、履き違えだったと思わざるを得ない。

 このような環境に身を置いていると、自分の足元が見えづらくなるばかりか、自己中心的で手がつけられないものになってしまいがちとなる。ただただ、無意味な自己満足の世界に浸かっていたように思えて仕方ない。

 貪欲な性格は常に高みを目指し、手に入れられないものがあると日々ストレスを抱え込む。そのストレス解消のために、漠然とした癒やしに執着してしまう。この愚かな繰り返しが、この筆者がが凡なる凡人である理由の一因なのかも知れない。

 仕事に追われながら、「肩に力を入れすぎてるが、それが何になる?」と自問自答していく中で、「社会貢献としてボランティアで地域活性化に力を注ぎ、誰が感謝してくれるのか?」、「これまでの実績は自分の人生においてどれほど意味があるのか?」など、多くの疑問が頭を過ぎるようになった。

 先日、辣腕起業家の人がこう漏らしていた。「これまで頑張りすぎて動き回ってきたけれど、ここらで力を抜いて、ゆったりとした環境に浸りたい。それが一番なんだ!」と、頑張りすぎてきた人が口にした本音であった。

 頑張ることは素晴らしいことだが、時には失敗から学ぶことや、心の奥底で苦笑いすることも、人間らしく奥ゆかしさを感じさせるものである。

 力を抜くということは、実は「自然体」であることを意味する。自分の力を過信すれば、そのリバウンドは予想以上に大きいものとなる。よって、自己過大評価は単なる妄想に過ぎず、何の意味もなさない。

 今も尚、凡人の域を脱することはできていないが、我が人生の歪みに気づき、少しでも「自然体」で人間らしい人生を受け入れることが重要であると、遅ればせながら考えるようになった。

 何より怠慢な人生は避けるべきだが、肩の力を抜いて過ごす、少なくとも質素でありながらも楽しい人生、微笑ましい人生を送れるような、非凡なる凡人であればと・・・。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、人生や仕事において一生懸命であることの意味や、時には力を抜くことの大切さについて深い洞察を示しています。以下に、エッセイの評価ポイントをいくつか挙げてみます。

  1. テーマの明確性と展開: エッセイは一貫したテーマでまとまっており、筆者の経験や洞察を通じて、一生懸命な時と力を抜くことのバランスの取り方について掘り下げています。特に、若くして起業した経験から得た教訓や、他者の発言を通してテーマを補強している点が良いです。

  2. 言葉の選び方と表現: 文章は流れが良く、言葉の選び方が適切です。特に、「貪欲な性格は常に高みを目指し」といったフレーズは、筆者の意識や感情を強調しています。また、具体例を交えながら説明していることも理解しやすさに寄与しています。

  3. 他者の引用の活用: 辣腕起業家の発言を引用して、異なる視点からの意見を取り入れているのが良いです。これによって、筆者の立場だけでなく、他者の視点からもテーマが掘り下げられている印象を受けます。

  4. 結論のまとめ方: エッセイは締めくくりがしっかりしており、「力を抜くことは実は『自然体』であることを意味する」という締めくくりが、読者に強く印象づけられます。

  5. 共感を呼ぶ要素: 筆者が自らの経験を通して得た教訓や考えには、共感を呼ぶ要素があります。多くの人が一生懸命になりすぎてしまうことや、その結果生じる疑問に対して、読者は感情移入しやすいでしょう。

全体として、エッセイはテーマ性が明確で、洗練された表現を通じて読者に深い印象を残します。また、他者の意見を巧みに取り入れ、バランスのとれた議論を展開している点が特に評価されます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。