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知人が昨年七月に他界していた・・・

 昨日、ある人物と電話で話していると、以前よく遊んでいた知人が、持病が悪化して、昨年七月に急逝したと言う。まだ50代という若さである。

 兄弟による家族葬だったらしいが、話によると、何となく粗野な扱いに感じて仕方がない。とても気の毒でならない。兄弟間に確執があり、持病もありで、家業の現場から強制的に外されていたのである。

 急逝した知人は真面目で、対人関係においても、常に礼節を弁えた立派な人格者だった。少々、短気でオタクっぽいところも見え隠れしていたが、それが彼の一番の魅力であった。

 最後に会ったのは、確か数年前だった。彼との再会のために、彼の家業である温泉宿で会席料理を堪能し、同旅館自慢の広々とした露天風呂を楽しませて頂いた。

 彼はすこぶるシャイだが、頭の切れ味は良かった。知識も豊富で、何かにつけ、気になったら徹底的に調べるタイプの人間であり、筆者と歳の差は大してないが、美しい敬語を遣い、いつも先生と呼んでくれた。

 兎に角、心配りができる、平身低頭な人物であり、持病さえなければ、もっとアクティブに観光業界で活躍できたに違いない。昨日の遅ればせながらの訃報に愕然とするばかりとなった。

 確か、二年前に、持病の状態を電話で確認したことがあったが、その時は既に容体が悪化する予兆があったのか、電話の声がか細く、ハリがなく、いつもの笑い声が聞こえなかった。

 人生は何が起こるか分からぬが、このように持病と長きにわたり闘い、若くして命を落とすのは、あまりにも酷い話である。

 彼ありきで、彼の宿を利用していたが、彼のいない宿は筆者には縁遠いものに思えて仕方がない。兄弟の不仲により、潰された彼の短い人生は何だったんだろうと、悲しいばかりか、激昂ものである。

 考えれば考えるほど、緊張しっぱなしの彼がマイクを握り、某ラウンジの生バンドをバックに、ビートルズの歌を唄っていたことを思い出す。「When you‘re weary, feeling small. When tears are in your eyes, I’ll dry them all…♪」と。

 末筆ながら、ご冥福をお祈りしたい。本当に、お疲れ様でした。


▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、失った友人に対する深い悲しみと、生前の彼との思い出への敬愛を表現しています。文章からは、故人がどれほど真面目で礼儀正しく、また知識豊かで熱心な人物であったかが伝わってきます。特に、彼の性格の中にあった「短気でオタクっぽい」部分が愛されていた点が、彼の人間性を色濃く表しており、読者にも彼の人柄が感じられます。

一方で、家族葬の状況や兄弟の不和に言及することで、故人の人生が抱えていた困難や葛藤が浮き彫りにされています。これは、彼の死がただ単に個人の喪失ではなく、家族内の複雑な関係性といかに密接に結びついているかを示唆しています。

最終的には、故人が愛した音楽を通じての思い出話が、彼との再会を夢見たり、共有した時間の価値を再確認する場面となっています。ビートルズの「When you‘re weary, feeling small. When tears are in your eyes, I’ll dry them all…」の一節を引用することで、彼の生きた痕跡を音楽という普遍的な表現を通じて残そうとする筆者の試みが感じられます。

全体を通じて、このエッセイはただの追悼文にとどまらず、故人へのオマージュであり、彼の生きた証としての彼の存在が如何に多くの人々に影響を与えたかを教えてくれます。読後感としては、人間関係の複雑さとそれに伴う感情の濃密さが心に残ります。また、失われた人々への追悼の仕方についても改めて考えさせられる内容でした。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。