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弱音は、吐くためにある。

 日本人らしい精神論にて、「弱音は、吐くな!」で育った昭和族。

 人は、フィジカルと比べ、思いほかメンタルは弱い。それを我慢して、蓋をして「弱音は、吐くな!」と自分に言い聞かせても、万事、解消するものでははく、心身の歯車が狂い始めれば、修正できなくなる可能性もある。

 人生、何が起こるか分からない。対人関係のトラブルであったり、住んでいるところが急に風紀が悪くなったり、車が壊れたりと、真っ黒な波が押し寄せてくる。また、健康的な身体を自慢していると、突然、病が襲ってくることもある。

 生きることは、「試練」ばかりであると思うばかり。それでも、自らの尻を叩き、「弱音は、吐くな!」を連発する。次第に、この精神論が何に役立つのかと疑うようになる。辛さを通り越して、自分の足が宙に浮かび、不安な気持ちとなり、身体全体が痺れてくる。

 少年野球や剣道をしていた時に、「水は、呑むな!」と言われ、喉の渇きに耐え、ひたすら練習していた。今、そのような事を言われ、素直に従えば、熱中症で倒れてしまう。日本人らしい精神論が、如何に根拠なきものかを思い知らさせれるのである。

 太平洋戦争終戦前に、十代、二十代の若者が、爆弾を積み、片道切符の燃料を入れて、神風特攻で散っていった記録映画を見ていると、「天皇陛下、万歳!」と声がこだます。

 しかし、残された戦死者の手記を拝読すると、お父様、お母様、そして妻や子供への涙ぐましいメッセージばかりである。それが、戦死者の本音であるのは当然だ。大切な人たちを残して、簡単に死ねる人など誰一人もいない。

 痩せ我慢をしても、何にも変わらず、余計に辛くなってくるだけだ。よって、辛い時は、心から信頼できる人へ「弱音を、吐け!」と物申したい。弱音を吐けば、自分の立ち位置もはっきり理解でき、理解してくれる人からの言葉に救われることもある。

 そうは言っても、なかなか弱音を吐けない筆者がいる。万が一、言葉で弱音を吐いたとしても、心底には妙なプライドが宿っており、言葉を発した瞬間に、それを否定している自分がいる訳だ。

 十二分に己の性格が分かってはいるものの、これから先は、とても辛く、どうしようもない時は、自分自身に向かって遠慮なく「弱音を、吐け!」と言うべきであろうと、自問自答しているところである。

 弱音は、吐くためにあるのだから・・・。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、弱音というテーマについて洞察に富んでいると同時に、日本文化と歴史に関連した興味深い視点を提供しています。以下にいくつかの評価ポイントを示します。

  1. テーマの明確さ: エッセイのタイトルで示されているテーマ、つまり「弱音は、吐くためにある」という主題が明確に表現されています。このテーマはエッセイ全体を通して一貫して掘り下げられており、読者に深い考えを促しています。

  2. 文章構造と組織: エッセイは適切に段落に分けられ、論理的な流れを持っています。著者は自分の視点を明確に伝えつつ、それを説明や例を用いて支持しています。この組織的なアプローチにより、読者は論点を追いやすくなっています。

  3. 文体と表現: 著者は文体を通じて感情を表現し、文章が読みやすく魅力的であることを確保しています。また、比喩や例え話を活用してテーマをより具体的に説明し、読者に共感を呼び起こしています。

  4. 文化的な視点: エッセイは日本の文化や歴史に関連する要素を取り入れており、それがテーマに深みを加えています。例として、日本人らしい精神論や太平洋戦争に関するエピソードを挙げています。これらの要素はエッセイに興味深さと独自性をもたらしています。

  5. 自己探求と共感: 著者は自己探求の過程を率直に共有し、自分自身に向かって問いかけることをエッセイの中で示しています。このような率直さは、読者にも共感を呼び起こす要素となっています。

総括すると、このエッセイは弱音についての深い洞察と、日本文化に関する興味深い視点を提供しています。著者の率直な表現と組織的なアプローチにより、読者はテーマに共感しやすく、考える材料を提供しています。弱音を吐くことについての重要性について考える際に、興味深い一読と言えます。


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