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深夜のホットミルクに関する雑記

家に帰ってから、予定よりも少し長く仕事を続けたせいで、ベッドに入ったのは1時を廻っていた。週の頭から頑張りすぎるとろくなことがない。少しくさくさした気持ちが災いしたのか、どうにも眠れなかった。

仕方がないので眠るのを諦めて、のそのそとベットを出て冷蔵庫を開けると、牛乳があった。賞味期限は11月19日になっていて、正に日付が変わって19日になったところだと気がついたので、温めて飲むことにした。

普段はラムを入れるのだが、わざわざ戸棚からラムを取り出してホットカクテルを作るほどの気分にもなれなかったので、それとなくシナモンだけ振ってみた。口に入れると、気持ちは少し落ち着いたような気がする。しかし、依然として眠気がやってこない。気づけばさっきまで降っていた強い雨は、止んだようである。

僕は眠れないときは「無理に寝ようとしない」ことが、結果的に一番身体に良いと勝手に信じている。ベットに入って全く眠気が訪れない状態が続くと、自分の体を「眠るべき時間と場所にあるのだからもう眠るべきなのだよ」と脅迫しているような気分になってしまう。

そんなわけで、自分の体に正直に向き合いながらホットミルクを作っているうちに、久しぶりに小説を読もうと思った。昔は貪るように読んだのだが、最近は仕事に関係する本ばかりを乱読していて、とんとご無沙汰である。さらに言えば、小説を読んでいた頃には、所謂ビジネス書籍のようなものに対してろくに読みもせずに「金に目が眩んだ阿呆が読む唾棄すべき文章」だと思っていた。とんだ世間知らずのサブカル野郎である。もっとも、何の中身もないビジネス書籍も、一定数は存在するという意味では間違いないが、それは小説もまた同じであると思う。

出来上がったホットミルクを飲みながら小説を読みだすと、徐々に懐かしい感覚が蘇ってきた。どうやら小説自体も当たりだったようで、ぐっとくる文章がポツポツと出てくる。そういえば、学生時代は小説や映画を見ては、気に入った表現をノートに夢中で書き留めていた。とはいっても、書いた内容を覚えているわけでもなく、その行為になんの意味があったのかと言われると、うまく答えられないのだが、今でもそのノートのほとんどは捨てられずに、ひっそりとソファーの下のトランクに入っていたりする。

遠くの方で、けたたましい消防車のサイレンがなり響くのが聞こえてきた。時間は2時30分になった。

「物書きの役目は、単一の結論を伝えることではなく、情景の総体を伝えることである」と村上春樹も書いていることだし、これが今晩の我が家の情景であるということにして、ノートを閉じて、コップを洗って、歯を磨いて、ベッドに戻ることにしようと思う。

すぐに眠れそうな気がしている。

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