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祖母の味

今日は亡き祖母の誕生日だった。生きていたら92歳になるはずだった。どうしても、命日は覚えられない。忘れがち。誕生日は、お祝いの記憶があるので忘れない。

今朝、お供え用に、桜餅を作ってから出勤した。帰宅してから、熱いお茶と食べた。あんこがたくさん余ったので、久しぶりにどら焼きを焼くことに。どら焼きは祖母の好物だった。

作り方を習った訳ではないけれど、台所に立つ祖母の姿を覚えている。どの種類のお砂糖を使っていたかなどの視覚的記憶がある。

祖母が亡くなってから、そんな記憶を頼りに、らっきょう漬け、金時豆煮、寒干し大根の漬物、切り干し大根、、祖母の作っていたものを再現出来るようになった。これらを作ることで、祖母がわたしの中で記憶として蘇る。4年半弱、認知症病棟でお世話になったので、最期の祖母の顔立ちは入院している姿。本来の祖母の顔立ちとは随分違ってしまっていた。写真嫌いだったので、正面を向いたいい写真がなくて、遺影の写真は認知症を発症し始めた頃の顔。どこか不安気だ。この頃の祖母は混乱して不安いっぱいだったのであろう。いろんなことが出来ていた頃の祖母は、こんな顔じゃなかった。

大鍋いっぱい豆を煮たり、お煮しめを作ったり、らっきょうは建設業を営む祖父の従業員の為に100キロ漬けていたらしい。

豆を煮たり、らっきょうをむしったりする作業をしながら、祖母はどんな気持ちで作っていたのだろうか、と思いを馳せる。

わたしがしっかり後を受け継いだ。ただ1つ、お煮しめだけは、祖母の味にはならない。そのお煮しめの味ももう忘れてしまった。

金時豆を煮て、桜餅を作り、漬けたらっきょうをお仏壇のある叔母の家に届けた。
ばぁちゃん、もう安心して大丈夫だからね。
たくさんありがとう。

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