「楽しくない」の日を、どうにかしてみる日。

ずっと部屋に置きっぱなしにしていた姿見に全身が映らなくなって、前屈みになりながらその日の自分を映している。足元から垂直に引かれたスタートラインから顔がフライングしている。

顔色が悪そうな事実から目を背けて、首より下ばかりを気にして今日の装いを評価する。大体これでいいかと決めてから、外に出るとその日の気温と合ってなくて苦労するまでがワンセット。起きたときの気分で服を選びがちだから、ぬくぬくとしたままの感覚で簞笥から服を出している。

髪型はこれでいいのかな、セットしたつもりだけど、果たしてこれでいいのかな。

スタイリングって難しい。絶対練習量が足りていないからだろうけど、これは良いって形が今でもわかってない。いつ確認しても決まった髪型をキープできてる人たちは、一体どうやっているのかな。ちょっとだけ気になる。でも調べようとしたことがない。今日はいいや。

一度外の様子をうかがうために、玄関をちょっとだけ開ける。雨雲が頭上にあって、どうやら雨が降っているらしい。今日は用事があるわけじゃないし、ただ気分転換で散歩したいだけだから、折り畳み傘でいい。荷物をわざわざ増やさなくていい。防寒対策だけは抜かりなく、装備だけはもう一度確認しつつ、持ち物はできるだけ抑えていく。


本を持ち歩く習慣は、今日は必要ない。本を読む機会はやってこない。やってこさせちゃいけない日。家で読めばいいからね。


散歩の時間よりも長いかもしれない準備の時間。準備に時間を費やせることが今は楽しい。遠足は家に帰るまでが遠足と言うように、散歩は準備からが散歩なので。


音楽プレーヤー単体では持ってないから、当然のようにスマホを持ち歩く。

音楽プレーヤーが手元にあれば、何もかもをシャットアウトさせて音楽と自意識だけで生きていられるのに。

散歩の道中にそんなことを思ったが、道端で写真が撮りたくなったときにはカメラが欲しいし、歩いていないと浮かんでこないものを確実にすぐメモをするにはメモ帳が必要になってしまう。時間を奪いに奪って、感情をも左右するスマホは、悪として見なすことが多い自分でも、憎い相手だとわかっていながらもスマホの便利さに今一度呆気にとられていた。

散歩のルートを考える。行き当たりばったりが好きなため、目的地のようなものをぼんやりと決めた後は迂回と道順変更を繰り返す。信号がなくても、止まりたいと思った瞬間に足を止める。いつもここにある信号は赤信号に頻繁になる。


散歩中は心が晴れ渡っていく代わりに、視野が広くなり過ぎてしまって、見たくないものまでが目に入る。

なんだか似たり寄ったりの1日が、当然のように過ぎ去っていく事実が頭に浮かび上がってくる。

嘘偽りのない心情としては、「楽しくない」の日が変わってほしい、と祈ってばかりなのだ。
変わりたいでも変えたいでもなく、変わってほしいと思っている。
他力本願と仕方がない変化で良い方に向かってくれと頭は動いていて、自主性が無くなって机上の空論でお遊びしている。

悔しくてたまらないのに、ムカついてたまらないのに、明日の朝には忘れちゃうんだ。寝たら全部が全部を忘れちゃうんだ。


だから、今日やろうって、みんなが口揃えて言うんだ。
言葉を知る瞬間と腑に落ちる瞬間には差があるが、ようやく腑に落ちた。

今日こそは、今日何をしよう。

散歩から帰って、軽くなった足取りで机に向かい、ノートを目掛けてsmashのシャーペンを走らせた。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。