見出し画像

「ロ」バート矢野

 「なあ、ロバートって四人組だったっけ?」
「なんだいきなり、そんなこと聞いてきて」
「いや……やっぱなんでもないわ」
「なんだよいつものお前じゃないな、一体どうしたんだよ」
「ロバートって三人組じゃなかった、って」
「ロバートは四人組に決まってるだろ、はねトびやポケサン観てたのに忘れたのか?」
「あ、まじか……いや、確かにそうだったな、すまんすまん」
「変なこと聞いてきて、もしかして若年性認知症とかじゃないの?(笑)」
「ははは……」

 ロバートは三人組という記憶が残っている。小学生の頃、はねるのトびら、ポケモンサンデーなどを観ることが僕の生き甲斐であり、流行に乗るための手段でもあったとき、ロバートは三人組だったという記憶が鮮明に残っている。ヤドンに仮装しておどけたり、独特なキャラクターを演じたりする秋山、伝説ポケモンで子供をボッコボコにする緑髪の馬場、なんだかポンコツな山本——この三人がロバートという芸人グループとして活動し、なんだかシュールな笑いを届けていたはずだった。
 しかし今——僕はWikipediaでロバートの記事を読んでいるが——「ロバートは、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する秋山竜次・馬場裕之・山本博・矢野俊介からなる日本のお笑いカルテット」と表記されている。
 矢野俊介
 じっと彼の名前を見つめる度に、彼がまるで招かれざる客であるかのような、そんな部外者な感じがしてしまう。
 聞いたことはある、だけど聞いたことがないようにも思える。でもWikipediaにはちゃんと彼の名前があるし、事実ロバートが出演するバラエティ番組には、秋山・馬場・山本ともう一人、矢野の姿があり、ちゃんと彼にも、
「ロバート矢野」とテロップが振られている。馬場よりも少し背が低く、山本よりも清潔な顔をして、秋山よりも痩せた、三人の体を統合して平均値に修正したような、そんな風体。ニタニタしながらロバートと同じ席に座り、時折三人と会話し、時折司会から振られて答えている。彼が話すことはロバート的で、もし矢野がロバート矢野であるならば模範解答なワードセンスだ。あの奇妙でおどけた感じはまさに三人組と溶け合っていた。
 「しかし」僕はロバート矢野を見つめる。「なぜ彼はロバート矢野なのだろう、いやなぜ僕は彼がまるでロバートではないように感じてしまっているのだろうか
 ロバート矢野はゲシュタルト崩壊したような輪郭を持っていて、やはり彼の相貌をまじまじと見る度に、メロディだけが浮遊し、それがなんの曲の一節なのか考えた時に思い当たる曲がなんだか合っているような違っているような、そういった二律背反を有しているような感じがするのだ。彼は見たことあるし、もしかしたらロバートなのかもしれない。僕が今まで「ロバート」という概念を忘れていたから生じたことなのかもしれず、現実では確かにロバート矢野はロバートのメンバーなのかもしれない。だけどその一方でロバート矢野が仮令余りにも、余りにもロバート的な言動をしていたとしても、ロバートというお笑いグループのメンバーにしてはどこか場違いな感じもして、歯がゆい気持ちにもなるのだ。そもそも、ロバートというグループ名はトリオのそれであり、カルテットのそれでは無いようにも思える。
 僕はYouTubeのロバート公式チャンネルを調べてみた。なにか手がかりが見つかるのではないかという一抹の希望があった。
 このYouTubeチャンネルは主にロバートのコントだったり、お笑い企画動画だったりを投稿するためのものであり、一番ロバート的な要素を感じられる場所だ。もしロバート矢野が動画にて三人の雰囲気に溶け込めていなければ、果たして矢野が部外者であるにも関わらずこのグループにいるということになる。
 僕は早速このチャンネルで一番再生数が高い動画、「【再現】デビュー当時ものまね」を観ることにしたが、それにしてもサムネイルでも使われているロバート結成当時のプロフィール写真、時たま見かけるそれには若々しい秋山・馬場・山本と共に矢野が、秋山と山本の間にくい込んでいた。いや、それにしても二人の間、こんなに広かったか? 僕が初めてこのショットを見たとき、三人はこんなに広々と、ゆとりを持っていなく、結構こじんまりとしていたような気がする。あと、この写真に既に矢野が居るということは後から参入してきた訳ではなく、まさにデビュー当時からロバートのメンバーだったということだ。もちろんWikipediaにも矢野が途中参加ということは全く書かれておらず、矢野は初期メンバーということだった。文面では俄にそう信じられなかったが、今僕はサムネイルを見て矢野はロバートと最初から深い繋がりがあるのだという証明をつきつけられたような、恐らく熱心なカトリックの人間が自分の研究により、信条と強固に結び付けられていた天動説を否定せねばならなくなったときと同じ状況に立たされているのだと確信した。
 動画を観る。
「どうした、矢野、お前こんなにシュッとしてでも頭なんかアフロじゃねえか」と秋山が言う。「お前、葉加瀬太郎にでも憧れてたのか?」
「いや葉加瀬さんのこと憧れてた訳じゃないよ(笑)」
矢野はニタニタしながらそうツッこんで、周りが笑っている。一部始終至って普通の、ロバート的な面白さ溢れる動画で、僕はお歯黒をめちゃくちゃ塗られている矢野をじっと見つめながら、彼はロバート的なのかもしれないという感情が湧いてきた。他の動画を観ても、無難に回答し、そして周りを笑わせる彼は山本よりも上手うわてだった。
 jamais vuジャメ・ヴュという言葉がある。フランス語で「まだ見たことがない」という意味で、一般にはデジャ・ヴュ(既視感)の対義語、つまり何度も見たことのあるものが新鮮に見えるという現象をさす。矢野に対する印象も、また未視感ジャメ・ヴュに基づくものであり、今までの個人的な調査から鑒みるに矢野はロバート的であり、ロバート矢野として存在するのが妥当なのだ。
 しかし——そう論決するのが自然であるものの——僕は未だ矢野の社会的存在性に疑念を抱いていた。僕は5chにスレを立てていた。

矢野俊介って本当にロバートか?

0001 名無しさん 2022/03/17(木) 07:59:38.55
本当に居るのか?

0002 名無しさん 2022/03/17(木) 08:07:30.07
当たり前だろ、糖質か?

0003 1 2022/03/17(木) 08:15:23.72
すまん、言葉足らずだった
最近未視感というかロバート矢野が場違いのような気がして

0004 名無しさん 2022/03/17(木) 08:16:58.24
よりによって矢野の方かよ草
もし場違いに思うなら山本の方やろ

 僕の主張は暫く相手にされず、スレは穏やかに続くも何にも進展しないようなことばかり書かれた。
 「やはり矢野はロバートか」そう思ってブラウザの更新を止め、大学の授業に出ようとした矢先、

0034 名無しさん 2022/03/17(木) 09:48:58.69
矢野俊介はロバートではない。証拠はある。
気になれば、ここからDMして会わないか?


 とTwitterのアカウントを貼ったやつが現れた。気になってリンクを踏んだが、捨て垢なためかバイオとかツイートとか一切書いておらず、全く素性がしれない。一体何者なんだ? なにか危害を、例えば僕のことを5chに晒したり、半グレとかでリンチしてきたりするのかもしれない。ふと僕は自分が踏み入れてはいけない世界に来てしまったような気がした。ロバート矢野がなんなのか探っていただけなのに、もしかしたら自分の人生が大きく変わる局面に来てしまったような……そう思うと怖気がした。
 まだ引き返せるぞ。自分の中にある良心がそう囁く。もう中断するべきなのだろうか。僕はキーボードに触れる自分の手がプルプルと顫えていることに気づいた。酷く顫えているわけではないが、その蠕動には確かに底知れぬ恐怖が宿っていた。高が知れている恐怖は自分を大きく見せるために身体をダイナミックに動かそうとする。その一方で深広な恐怖は殆ど身体に現れてこない。自分が深淵にあることを熟知しているからだ。やはりこの件は無かったことにするべきなのか。その手を見つめながら僕は考えていた。
 「だが」僕は思った。「やはりロバート矢野が一体誰なのか知りたい。向こうは嘘つきかもしれないけど、万一情報が得られるならば万々歳だ」そう思って僕は謎の情報提供者にDMでコンタクトを取った。もう僕は矢野に狂わされていた。
 二十日午後一時に渋谷ハチ公前で会おうと言われた。とてもリスキーな事だけど、向こうから顔写真を求められ、散々悩んだ末に自分がアルバイトの履歴書に貼るために撮っておいた余りの証明写真を直撮りで送っておいた。自分を信頼させるためには仕方なかった。

 「君かい?」ハチ公脇の汚いベンチで待っていると、サングラスにマスク、そして黒いロングコートを身につけたいかにも怪しそうな人間が僕の正面に立った。
「良かった、送ってもらった写真通りだ」と顔をまじまじと見てきた後、僕がスレを立てた人間であると信用してくれたようだ。
 「貴方が○○(Twitterのアカウント名)ですか?」
「ああ、正しく」
「好きなアーティストは?」
「ミッシェルガンエレファント」彼は淡々と答えた。良かった、DMの時に合言葉にした質問をちゃんと答えてくれた。彼はあの34だ。
 「じゃあここで話すのもなんだし、落ち着けるところにでも行こうか」と彼は優しく、そしてどこか懐かしい声で提案した。

 暫く一緒に歩いていると、彼は徐に中空を指さした。
「ここで話そう」指さす方向には赤茶けた雑居ビル、その二階には「パラソル」という昭和的な喫茶店があった。
 彼はゆくりなく階段をズカズカと上っていく。僕も彼の背中を追うようにして上る。不思議と懐かしい感じがする。最早彼に対する疑念は無かった。
 彼はそのまま出入口の扉を開き、喫茶店の恐らく主人に軽く会釈し、躊躇いなく空いている席に座った。恐らくここの常連なのだろうか。というのも渋谷の喫茶店であるため、ここで憩う客は多く、また小さな喫茶店だから、ほとんどの席は埋まっていたのにも関わらず、彼が座った四人席だけは空いていた。もしかしたら僕のために予約してくれたのだろう。
 僕も遅れて腰掛ける。すると彼が大声で、
「マスター、パフェ二つ!」とやにわに注文し、僕の顔を見て、
「パフェ好きだよね?」と聞いてきた。僕はいきなりのことでびっくりしたが、直ぐに首を縦に振った。
「やっぱそうだよな」
「すみません、ありがとうございます」
「いいよ、いいよ」彼は軽快にそう言って、コートを脱ぐ。見た目怪しい感じだったのが良い感じになり、いかにも好青年という風体になった。まあ、それでもサングラスは外さない。
「ああ目が弱いんだ、気にしないでくれ」と笑いながら彼は言った。
 二人分のパフェがやってきて、彼が頂点のアイスクリームにスプーンを刺し、僕もそれに倣って手元のスプーンで食べようとする。
 すると彼は、掬ったアイスを頬張ってから、
「それでロバート矢野の事なんだけど」と口をもごもごとさせて言った。「確かにアイツはロバートには居ない」
 僕はその言葉に確信を帯びた動揺をした。気づくと僕の両手はまた顫えていた。しかし前の顫えとは訳が違う。これは武者震いのようなものだ。恐怖では決してない。
 それに気づいたのか、彼は言葉を続ける。「だが、この世界では矢野がロバートとして認知されていて、疑う術もない。そうだろう?」
「はい」と僕は頷いた。「でも何故かおかしいんです」
「この問題には二つの解答が存在する、まあ他にもあるのかもしれないが」アイスクリームを食べ、下のイチゴとホイップクリームを掘り出しながら、彼は左手で数字のジェスチャーをした。
「まず一つは、君が狂っている、あるいは夢を見ているといった、個人の認知に根ざしたものだ」と彼は相変わらずパフェをガツガツ食いながら、そう言う。やはりそうなのかもしれない。若年性認知症や統合失調症、確かに言われた通り、僕の頭はおかしくなっているのかもしれない。元々ロバートは四人組で、矢野は別に部外者じゃないんだ。
「おっと、早合点するのはいけない。もう一つあるんだぜ? この未視感を説明する理由が」僕の心に現れた不安の雲を察したのか、彼はそう慰めるように付け加えた。僕はそれに呼応するようにパフェを食べる。
「まあ二つ目を話す前に」彼のパフェはもう底を尽きそうだった。「いくつか話すべきことがある。俺は二つ目が君の未視感、つまりロバート矢野の違和感の理由だと思っている。しかしいきなりそれを言っても君は直ぐに信じないだろう。まあ今からする話を聞いても信じないかもしれないが」
「僕は信じますよ、あなたを信頼していますので」
「嬉しいねえ」食べ終えた彼はもう一つパフェを頼んだ。「ここのパフェ美味いんだよな、君のも頼もうか?」
「いえ大丈夫です」
「別に気にしなくていいんだよ、僕がどの道払うから」そう言って彼は、僕の分まで頼んでくれた。
「さて話が脱線してしまったね。気を取り直して……君は集合的無意識を知っているだろうか。ユングが提唱した概念だ。僕達の精神は無意識を有していて、意識とは別に常に動いているんだ。例えば人は文字を書く際、その書き順などを意識することなく、しかしそれに則る。まあ極めて単純な例だ。
 しかし無意識は精神の殆どを占めている。僕達が何気なく行動していることにも無意識は加わっていて、また記憶にも携わっている。催眠術はもうオカルティズムに走ってしまい、胡散臭く感じられるだろうが、昔は精神医学で活躍していた。というのも催眠は人の無意識を意識まで上昇させ、診療の手助けになっていたからだ。
 また催眠が有効であれば、シンプルに夢もまた無意識を想起する手助けになる訳だ。夢の中で知らない人を見たことはないか? 実は、無意識的に蓄積された記憶から夢に現れただけなんだ。そしてその人間は実在し、知らないうちに見かけていて、その些細な情報が長い間思い出せないだけで脳に保存されていたというわけさ。
 精神というのは偉大だ。人が人である所以だが、その真相は人智を超えているという逆説的な存在だ。これまで様々な人間が——ユングやフロイトなどの高名な精神科医が——分析してきたが、帰納的であり、決して演繹的な理論として構築されなかった。精神は計り知れない力があり、神秘的な絹衣、仏が纏っているようなものが被せられているゆえに、深遠を見通すことが出来ないからだ。
 そして集合的無意識はその神秘主義を象徴していると言えよう。これは個人的な経験に基づいたものではなく、ア・プリオリなもの、遺伝子に刻み込まれた情報によるもので、例えばゼウスの稲妻と『かみなり』の概念は非常に近しい。又は『見るなのタブー』は人間が共通的に感じる自由意志への譴責と考えられる。僕達はミトコンドリア・イブから誕生したのだから本能的には皆同じことを考えられるのかもしれない、ユングはそう考えたのだろう。
 しかし僕達の集合的無意識はその範囲に留まらないと思っている」パフェ二人分がやってきて、さっきのようにモグモグ食べる。どこか似た者同士な感じがして、より親近感が湧いた。
 「さて、話を続けよう」今度は食べながら話し始めた。
 「宇宙を考えてみよう。そう言われて僕達はその圧倒的な宏大さを真っ先に考えてしまう。ただでさえ地球上でも壮大な旅の叙事詩が生まれるのに、その地球なんて原子であるように思えてしまうほどの宇宙は途方もない。オデュッセウスなんて卒倒するだろう。
 だが僕達を覆う茫洋とした暗黒は意外と大したことじゃない。むしろこんなちっぽけな人間に似ているんだ。
 こんな話がある。我々の脳細胞と宇宙の構造が極めて似ていると。実際写真を見ると、ニューロンのハブが銀河系の中心に似ていてどっちがどっちか見間違えてしまう程だ。この話を聞いたとき僕は脳は宇宙なんだと確信したさ。
 そんなわけないと君は思うかもしれない。ただ君はこの思考実験を知っているかい? 漢字及び中国語が全く分からない英国人をある部屋に入れ、マニュアルの指示通りに漢字のパネルを並べさせる。並べたものは別の部屋にいる中国語話者のところに行き、その意味に従って何か返事を英国人の元へ送る。彼が有するマニュアルにはあらゆる中国語に対して完璧な返事が書かれていて、彼はいかなるメッセージに対しても取り敢えずマニュアルに従って適正に漢字を並べて送ることが出来る。これを何度も繰り返していると、中国語話者は自分が誰かと会話していると思うが、実際向こうはマニュアルの通りに返事を機械的にしている英国人だから、二人で意思疎通するやり取りが会話とするならばこれは会話では無いと断ずることができる。
 正直これが会話なのかどうなのかは僕にとって些末な問題だ。これは認知的ギャップに基づいたものであるが、それは最終的にクオリアや哲学的ゾンビ……ああいう脳または精神の神秘に介入しようとする問題の解答を求めようとするのはある意味ナンセンスだ。精神そしてその無意識から生じた神を論ずるのは則ち論理の超越であり、反証不可能な時点で時間の無駄だからだ。
 僕がこの思考実験を語ったのは、例え無意識的でも自ずと仮借的に機能を全うする場合があるからだ。自分の知らないうちに誰かにメッセージを送り、相手が勝手に会話をしていると思ってしまう以上、それは会話的機能を果たしているのだ。極めて独我論な導出であるが、人間は自他の分離をするのだから仕方ない。それにしても、脳も果たして宇宙としての役割を結果として果たしているのではないか?
 ミクロコスモスの中に存在するマクロコスモス。その入れ子状態はある意味メビウスの輪だ。僕は全てがカオスにまた平行的に存在していると信じている。波動関数は収束せず、デコヒーレンスに基づく多世界の存在があるように思える。一種のフラクタルだ。全ては干渉しないまま、様々な宇宙が存在する。
 そしてここに第二の理由が存在する」二つ目のパフェを食べ終えた彼はやや恍惚な顔を浮かべた。しかしその顔はパフェによる満足感ではなく、僕に真相を言うことへの、あの擱筆前の達成感に似たものだった。
「君は別世界の人間だ」彼はそう言い渡した。「君は元々ロバートが三人組だった世界の住人なのさ」
 「そんな……」僕は驚愕の事実に持っていたスプーンを落とした。カチャという金属音が辺りに響く。「僕はロバート矢野に違和感を覚えたが、別に大きく世界が変わったように見えたわけじゃない! ただそれだけで他は別に変なことなんてない。そもそももし僕が別世界の住人で突然この世界に来たとしたら、周りの事実とか友達との話題とかちぐはぐになるだろう!」結局彼の話を信じられなかった僕は、声を荒らげて反論した。周りの客がちらほらと僕らをじろりと訝しげに見る。
「いや、君はこの多世界について誤解しているんだ」と彼はグラスの底に溜まったクリームをスプーンで掻き混ぜながら応えた。周りが見ているのにも関わらず、彼は依然として余裕さを持っていた。
「脳が宇宙と同じ役割をしていると僕は言ったね? 僕が思うに君は君の脳内にて構築された世界に飛び込んだんだろう。だから君はこの別世界の出来事を元いた世界のそれと一緒に記憶することが出来て、それで円滑にこの『現実』を受け止められたんだ。さっき僕は『僕達の集合的無意識はその範囲に留まらないと思っている』と言った。これは決して通時的な情報だけではなく、共時的な、つまり平行世界の情報もまた無意識に存在するという意味なんだ」
 彼は更に三つ目のパフェを頼んだが、今度は僕の分を頼まなかった。僕は彼のトンデモな理論に頭が痛くなった。理解が追いついていない。
 「さてこういう訳だが、一つ君を元の世界に帰す方法がある」僕はドキリとした。帰る方法。帰ることができるんだ、という喜びよりも、そういや僕は帰らないといけないんだという気持ちの方が先行していた。
「この平行世界、デコヒーレンスによって無矛盾的な状況で成立している。しかしそこに矛盾が生じたらどうなるだろうか? 決して錯覚のようなものではない。錯覚は客観的に存在する時点で——いやこの言い方は紛らわしいな——情報的に存在する時点で無矛盾的であるからだ。僕が言いたいのは、どのような説明や情報を以てしても、通用しない状況が発生したときだ。君の場合認知的な矛盾が生じた場合と考えても良い。兎に角矛盾が生じたとき、宇宙は正常じゃなくなる。極めて不安定な状態になる。だが宇宙には自浄作用があって、矛盾が生じた要因を整理して適正な状態に戻ろうとする。いわゆるレジリエンスだ。君は本来ここにはいない存在だ。しかし君はこの世界の言わば神だ。つまり先も言ったように君にとって認知的な矛盾を引き起こせば良い」そう言うと彼は、サングラスとマスクを取ろうとした。彼は笑っている。「覚悟は決めたかい?」
 僕が答える前に彼は一気に取った。そして顔を顕にした彼を見て僕は絶句した。全てを取っ払って真実を見せた彼は……そう矢野俊介だった。僕が今まで話していた人間は、僕が一番存在を疑っていた人間だった。
「あなたは……」そう声を漏らし、自分の両手をふと見ると、指先から消えていた。
 この世界から抜け出そうとしているのか。あらゆる認識が光の中に消え、この世界から消えようとする中、矢野は再び口を開いた。
「自己紹介がまだだったね、僕は矢野俊介、ロバートのメンバー。そして君の認知的矛盾を生み出す存在、つまり別世界の君だ」
 そして「さようなら」という文言を最後に僕は意識を失った。

「なあ、ロバートって三人組だったっけ?」
「なんだいきなり、そんなこと聞いてきて」
「いや……やっぱなんでもないわ」
「なんだよいつものお前じゃないな、一体どうしたんだよ」
「ロバートって四人組じゃなかった、って」
「ロバートは三人組に決まってるだろ、はねトびやポケサン観てたのに忘れたのか?」
「あ、まじか……いや、確かにそうだったな、すまんすまん」
「変なこと聞いてきて、もしかして若年性認知症とかじゃないの?(笑)」
「ははは……」そう笑う僕の心はとても清々しかった。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?