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目に映らないギャル

「私、ギャルの友達が欲しいんだよね〜」
隣の席から、僕の耳に気になる言葉が入り込む。

僕は今、上野の喫茶店にいる。
喫茶店で隣に座る女の子は2人共黒髪で、
髪の毛を綺麗に結え、
両手でアイスコーヒーのグラスを包み込んでいる。

自分の思い浮かぶギャルとは程遠い印象を受ける。

2人は向かい合っている。
会話が生まれるたびに耳元のリングを揺らす。
それらは店内の照明に眩しいほど反射する。

「ギャルってかわいいし、毎日楽しそうだよね」

会話が、耳に届いた時、
アイスコーヒーを飲むのをやめてみる。

ギャルだから毎日を楽しく過ごせるのだろうか。
毎日を楽しく過ごせていると、ギャルになれるのだろうか。

では何故、喫茶店にいる女の子たちはギャルにはなれないのだろうか。

そこの定義は分からないが、
ギャルとは一体、何なのか。

この疑問が、僕にコーヒーをおかわりさせる。

今の女の子を服装的観点で分類すると、
清楚系、韓国系、古着系、モード系といったみたいに、服装の特徴に沿ってジャンル分けができる。

しかしここで、ギャル系ファッションに分類される服装を考えてみるが、僕はルーズソックスくらいしか思い浮かばない。

どの服装や、化粧を身につけることで、
ギャルへと化すことができるのだろうか。

隣の席の女の子たちの言葉遣いはとても丁寧で、
声の抑揚も一定している。

もちろん、綺麗な言葉遣いをするギャルもいるはずなのだが、ギャルへと化す要素の1つとして、言葉遣いも含まれているはずだ。

髪の毛を派手に染めていたとしても、
彼女たちは芸大生や、美容師の可能性もある。

服装的観点や、美容的観点では、
人をギャルとは捉えきれないと思う。

では、ギャルとは一体何なのか。

高校生で、ルーズソックスを穿いている女の子たちは想像できるが、20代半ばまで、貫いている人はいるのだろうか。

そして、一般的にギャルと呼ばれる存在は、
学校の中でも、カーストが上位にいる子が多い。

自己表現をすること自体に抵抗がなく、
個性の1つとして、ギャルが生まれるのだろうか。

そして、ギャルは何事にも物怖じしない性格でもある。

それは、自分の意見を主張できる素敵な性格なのだが、周りの雰囲気を察して、自分の意見を殺そうとする人もいるだろう。

だが、企業に勤めている人でも、
上司に自分の意見を臆せず発言できる人もいる。

なので、自分の意見を主張できる人がギャルとは限らない。

ここで、性格的観点からも人をギャルとは捉えきれないかもしれない。

では、ギャルとは内面的な要素なのだろうか。

毎日を楽しく過ごすという考えを、
自己肯定感に置き換えれば、
自己肯定感が高ければ、ギャルになれるのか。

では、何故、喫茶店にいる女の子たちは、
そのような思考に至らないのか。

それは、ギャルへと化す要素の中には、
自己肯定感だけではないと、理解しているからではないだろうか。


言葉遣いを意識し、自己肯定感を高め、
ルーズソックスを履き、街に繰り出すだけではギャルにはなれないのだ。

目に見えない存在のギャルとは、
そういうものなのだ。

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