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自信がありますよね?

長く伸ばした黒髪の質を保つために尽力するのも

派手な色の服を着ないのも

スカートばかりを選ぶことも

本当は5個6個と開けたいところを、

左右に一つずつで我慢しているピアスも

全て、鎧のようなものだ。

せめて剥き出しにならないように。

一時お世話になった先生は、出会ったその日に私を見たとき嬉しそうに見抜いた。

「あらぁ、あなた、おとなしい良い子であることをやめたのね。そして、それを隠すのが上手いのね」



おかしいと思ったことを、おかしいと言わずにはいられない。

仕事となると、尚更のことだ。おかしいことは、おかしいと言わなければ進まない話がたくさんある。

多くの人は同意するけど口にはしない。

嵐のようだ、とか、気が強いとか言って笑われたりするし

「そうやってつよく言える自分が好きですよね?自信がありますよね?」

などと言われる。

「自信なんてありません。自信があるかどうかなんて考えたことありません」

そう返して、ハタと思った。

自信とはなんだろう。

でも、その数秒前にこんなことも考えかすめる。

『そうですね、少なくとも見て見ぬふりして何も言わないあなたより、自分のことの方がいくらか好きかもしれません』



おかしいと思ったことを言葉にして伝えることは、自信の表れなんだろうか?

ありのままでとディズニー映画は唄う、ありのままで良いはずないじゃないとミッツマングローブは言う、高級なもの高級な場所に身を置けという人もいる、とりあえず整形しろという人もいる。

自信って、そんなワンパターンでまっすぐなものだったっけ?

もしそんなものなら、自信なんていらない。

あるかないか、なんてそんなことは置いておいていい。

頑張らずに続けられる、それだけが正しいだけだ。

頑張らなくてもいい状態の自分でいること、それがおかしいと思ったことをおかしいということだった。私にとっては。

そうして好きなものを食べて、好きな人と話して、好きなことをして、好きなだけ眠って。毎日同じことはしないようにして。ちょこちょこっと家を整えて、そんなことだけが大切なだけだ。

私を見抜いた先生は、一つだけ間違っていた。おとなしい良い子であったわけではない、頑張ることをやめただけだった。

壊れずに、かといって何かを無神経に切り捨てることもない。

そうしていることだけが唯一、自信に似たものなのかもしれない。







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