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中毒性のある街

「下を、見てみなよ」

その人は言った。

地上31階から眺める地上には、そびえたつ何棟ものビル。どれも色を次々に変え、ときにはビルをまたがって流れあう電飾が光っている。その右手側には堂々と立つテレビ塔。

川を挟んで左手には、植民地時代に建てられたというヨーロッパ風の建築物が、街中の博物館のように並ぶ。それを下から、その威厳を支えるように白いライトが照らした。その屋上には大きく居座る時計と、中国国旗が揺れている。

「あそこに何があるか、わかる?」

そのすぐ下の真っ暗な場所を、彼は指さした。暗すぎてわからないけれど、ごちゃごちゃと、何かが集合し、パズルのように組まれているのだけは見える。吸い込まれそうなほどに黒い。ズゴゴ…と音がしそうだ。

「わからない。でも、人が居る気配はするの。」

背中が急に寒くなって、肩にかけた毛布をぎゅっと引っ張りながら私は答える。それを察したのか、彼は毛布ごとぎゅっと背に覆いかぶさってきた。

「よくわかったね。そう、あそこには人が住んでる。上海の戸籍を持たない出稼ぎ労働の人たち。その収入は、上海の人と天と地の差なんだ。だから、夜は電気がほとんど使えなくて、こんなにネオンが光る中、あの一角だけ真っ暗。すごいだろ。ここから見る景色は、今の上海の全てを凝縮して絞り出すように映し出してる。」

彼は私を抱く腕に力を込めて、更に続けた。

「嫌だって思うことばかりだ。めちゃくちゃなんだ、この土地で仕事をするのは。日本で育って、身に付けてきた常識もルールも通じないよ。それでも、ここから見る景色も、道行く人たちがこれから良くなっていく経済のうねりを感じて生き生きしてるのを見るのも好きだ。上海は中毒性のある街なんだ。」

中毒性・・・ひとつひとつの文字が頭の中でリフレインするみたいに流れる。ネオンの光が、毒を持った生物が放つ、蛍光色に見える。上海に降り立った日から、私も中毒なんだろうか ------


その頃から上海は灰色だった。晴れていても、空が真っ青に見えることなんてほとんどない。日本の空より、白みがかっていた。

PM2.5。そんな単語が無かったので、あの灰色は、そこらかしこで行われている建物の解体作業や、新しい建物の建設作業のせいだと、私は本気で思っていた。

2か月も行かなければ、通りのお店が閉まっていたり、入れ替わっていることはザラにある。まるで爬虫類が脱皮するみたいに。それは、「発展」というものをし続ける都市では日常だ。

発展している都市に住むこと・・・そのことを今思えば、特殊だったなぁと特に思う。街には、これから拡大するチャイナドリームを獲得しにきた外人の大人たちがギラギラと歩いている。それでも、プラタナスの木陰を歩く上海の人たちは、とても純粋に未来を見つめているだけだった。

これから、自分たちの国が発展していくという未来への明るい見通し。これだけだった。

シャンとして胸を開いて進む人ばかり。バスに乗れば、運転は豪快でなんども吹き飛ばされそうになるが、その中でも若者は、お年寄りを見かければ当然のように席を譲り、スックと立つ。歳を重ねても大事にされると言う希望があるのは、大都市には珍しい。

色とりどりのダウンコートやレインコートをきて、ひしめき合うようにバイクや自転車で進むときも、接触しそうなぐらいに近くを走りあっているに、誰もぶつからない。流れから飛び出すものもいない。その勢いに乗って前に進むものしか、ここでは生きられないと、言われているようだ。

前向きなのに、前に進んでいるのに、真っ暗な、夜電気も通らない場所を残してどこまでも、ネオンを光らせて発展する街。地上31階から裸足で見下げたその都市を、私は今でも強く忘れられない。

足元から冷えるようで、指の先の先まで熱かった。あれからずっと私も、あの街の中毒...

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