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宇宙を潤す砂漠   #ブリリアントブルー

本文に入る前に…

【この文章は2年前に書いた「砂漠を愛している」という文章を「ブリリアント・ブルー 公開フィードバック」というオンラインイベントでフィードバックしていただき、リライトしたものになります。】



砂漠の、どこまでも緩やかに続いている砂の波を見たとき

人はどうなるか知っているだろうか。



ただ、歩き出すのだ。



砂の上を歩くと滑らかに足をとられ、柔らかく半歩引き戻される。

それでも足を止められない。

砂の世界に出会ったあの日から、私はことあるごとに砂漠の残像を見ている。乾いているけど肌当たりの優しい敦煌の風と共に。

美しい幻みたいに思い出さずにいられない。





中学三年生の修学旅行で、上海から西安を経由して数時間、敦煌に着いた。

砂しかない世界を上から見たときは、砂漠のとりこになるなんて思ってなかった。


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飛行機が降り立つや否や、私たちは中途半端な大きさのバスにぎゅうぎゅうにおしこめられて、赤い砂に囲まれた道を走り出す。

砂、砂、砂。ときどき、枯れ果てた植物。そしてまた砂。その繰り返しが目の前で流れていく。

修学旅行が始まってからもう3度も飛行機に乗っていた。気圧の変化のフワフワした疲れがドッと身体にのし掛かって来ていた時だ。ますます思考は働かず、砂漠に興味は湧かない。

いくら何でもだなぁ。学校の毎年の慣習とは言え、3年間で一度しかない修学旅行で砂漠に来ることはなかったんじゃないだろうか……と、バスに乗っている15歳全員がそう思っていたと思う。


しばらく進むと周りの砂が赤からクリーム色に変化し、枯れ果てた植物さえも見ることはなくなった。


生き物の影さえ見えない世界。


変化のない外を眺め飽きて、うとうととし始めたとき、

突然バスが急停車した。”何もない”場所で。


「シンキロウあるよ!おりた、おりた!!」


片言にもなってない日本語を話すガイドさんの一声で、私たちはだるそうにバスを降りる。


でも本当にだるいのは、バスを降りるまでだった。




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カピカピにひび割れた地面。それがタイルのように敷き詰められ、太陽が反射してまぶしい。

思わず目を細めて前を見つめると奥の方に黄金の砂山がどっさりあって、どこまでも終わりがなく連なっていた。

しかも砂山の少し手前の景色がゆらゆらとゆれている。


蜃気楼だ!


そう思ったときには、わっと走り出していた。私だけじゃない、みんな。

見たことないほど広い空間、初めて見る蜃気楼。奥まで辿り着けるわけがない、触れるわけがない、それでも走らずにはいられなかった。

先の方に見えていた砂山に着いてからも同じだった。

温かい砂が足をつかんで、一歩進んだら半分ほど下がる。砂山のてっぺんは、なかなか近くに寄ってこない。それでも登らずにいられない。

全員でわーわー言って、疲れたら手を取って引っ張り上げながらてっぺんのなだらかな線を目指す。



しばらく砂山を超えていくと平らな場所に小さな掘っ立て小屋があり、その周りに4本足の何かが縄で繋がれている。まだ遠いけれど目を凝らすと、その生き物の背中には砂山と同じなだらかな曲線が2つあった。


ラクダだ!



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もう少し歩いていくと長いまつげのエレガントな目元がすぐに見えてきた。大きな口がゴモゴモと動き、時折長い舌を出す。

近づくほどにむわーんと濃くなってきたのは彼らの命の匂いだった。体温を纏った毛の匂い、そこら中に排された"し尿"の匂い、いい匂いとは決して言えない、生臭く力強い匂い。乾ききった風景にやっと、生命の気配が満ちてきたようだ。

そのコブにまたがって見た砂漠は更に絵画のように輝く。5頭ずつぐらいで縄に繋がれたまま整列して歩く彼らがまた一本の長い線となって、砂山に沿って溶け込む。

この地の曲線は全部が繋がっているから更に美しいのだと沁みるように思った。


しばらく進むとまた小屋があった。そこが彼らのもう一つの家のようだ。ラクダに別れをつげると、私たちはまた自分の足で進み始めた。





シャクリシャクリと砂が鳴る。歩かずにいられない、登らないではいられない、砂山のてっぺんに着いてからも、叫ばずにはいられない、泣かずにはいられない。突然好きな子のところまでずんずん歩いて行って気持ちを伝える子までいた。伝えずにはいられなかったのかもしれない。


でもあんな場にいたら誰しもがそうなると今ならはっきりわかる。


あまりにも潤いがない、命が生まれて続く気配もない、ここから帰れなくなれば水も命も吸い取られて干からびる、こんな広大な砂に抗えない。


白く輝く砂と足を絡ませて歩くことは、危機感にも似た心地よさがあった。


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敦煌の砂漠は絶景で、どこまでも綺麗すぎて。とても美しいものがどこか恐ろしいのと同じように、全部の感情を突き上げてくる何かがあった。

嬉しい気持ち、感動する気持ち、誰かを好きだと思うこと、そういうポジティブな感情は、乾燥しきった軽い空気が空に押し上げる。

うまくいかない、生きるのがつらい、悲しくてたまらない、湿って重ためな感情は、地面の砂に全てしみこんでいく。

そんな空間に身を置くと、人はうんっと癒される。みんな憑き物が落ちたような笑顔になったのを覚えている。


足を進めて歩き続け、とうとう砂山の行き着く先を見ずにその夜は来た。


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砂の世界に突然現れた赤土色の宿に私たちは入った。落としても落としても体のあちこちから流れ出てくる砂を踏みながら、いつもより長くシャワーを浴びていると外はすっかり暗くなっていた。

いや、正確に言えば、『明るい暗闇』が訪れていた。

私たちはホテルの中でさえ足を止めれなかった。窓の外を見た瞬間、屋上を目指して息をとめるように走っていた。


もうすぐ空が見える場所にいける!


息を切らす私たちを見たこともない数の星空が優しく出迎えてくれた。


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ライトがなくてもこんなに明るい夜は初めてだった。星たちの背景には白く淡い川も見える。
天だけじゃない。遠くの地平線ギリギリまで星が覆っていた。その時に空は上にあるものじゃなく、横にもある。つまり空は丸いのだとようやく気付いた。球体の空は宇宙であり、「無限」というものをそこで初めて見た気がした。

そんな押しつぶされるほどの感動に出会ってしまった15歳の私たちの心も感性も、きっと無限になった。あの時の砂漠に突き上げられ、揺さぶられ、潤わされて。宇宙のように果てをなくした。




砂漠は進もうとすればするほど、砂山の線が折り重なる先の、まっすぐに引かれた地平線まで行ってみたいと思ってしまう。

なだらかで恐ろしく、絶対的な世界だった。

砂漠の魔力にかけられたまま、今を生きている。


これを読んでくれたあなたも、連れていきたい。


圧倒的な砂漠の愛と潤いに満たされるに違いない。




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