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コロナ禍の中国・北京起業<隔離日記③隔離中の出来事>

前回、北京で会社設立のために招聘状とビザを手に入れて、中国入国までと隔離生活の状況をご紹介しました。


今回はちょっと番外編としてこのホテル隔離中に起きた出来事や事件?などを紹介できればと思います。


まず僕らはチケットの安い西安で最初の2週間の隔離に臨みました。僕が入国した時には21日隔離(3週間がマストでした。今は状況が変わり省やエリア次第ですが4週間隔離が多くなっています。)が必要なのですが、最初の2週間を西安で過ごします。

そのホテルでの問題がいくつか。

1、清掃がされていない

ひとつめはチェックインしたのですが、部屋の掃除がきちんとされていませんでした。シャワールームには使い古しのタオルがかかっており、ミニ冷蔵庫には飲みかけの水が。汗

この部屋で2週間過ごすのかよ、と思いつつも、疲れていたので軽くクレームを入れて新しいタオルなどを持ってきてもらいました。この時に部屋交換をお願いすれば良かったのですが、移動ですっかり疲れていてさらに荷解きも終わった後のため部屋移動などがめんどくさく感じていました。結局隔離中は清掃などは入らないため、このまま2週間過ごすことになります。翌日は自分で大掃除をし、気になるところだけはきれいにしました。


2、排水溝が臭い

バスルームにはシャワーとトイレと洗面台があります。いわゆる一般的なホテルのバスルームですが、その排水溝の匂いがなかなかきつく、トイレに行くのが嫌になるほどでした。バスルームを換気のために開けておくと部屋中に匂いが漂ってくるので、使わない時はドアを必ず閉めていました。ケトルの熱湯をかけてもダメで、これに関しては諦めていました。


3、食事が合わない

西安は麺類が有名なエリアです。辛い食べ物も実は多く、麻辣(マーラー)でいうと、ラーの辛さプラス油も多めの食事が多いのですが、1食ならともかく、3食必ず辛いものが入っていて、食事も辛いだけでなく味があまり合いませんでした。日本にいても週1で中国料理は食べていたので免疫があると勝手に思い込んでいましたが、毎日3食すべてだと流石に応えてしまい、4日目あたりから食欲がなくなり、5日目には、お腹を下し始めてしまいました。流石にそのままではまずいので、辛いものを食べるのはやめ、食べれるものと節約しながら日本から持ってきた食材でなんとか凌ぐ日々を送ることに。ルームサービスも頼めますが、美味しいのかと辛さが大丈夫かがギャンブルなので、白米だけ頼んで持ってきたレトルトのカレーを食べて凌ぐ日々。食事が合わないのは、徐々に効いてきて食欲がなくなること、そして日本から持ってきた食材がどんどんなくなるという焦り、毎日決まった時間に弁当を運ばれてきてそれを部屋の中に取り込み、蓋を開け、ため息をついて蓋を閉じるという生活を送っていました。徐々に心が滅入ってきて、ああ、俺は中国に来てまで独房に入れられてお腹壊してるんだ、これで脱走したらどうなるかな?本当に捕まるかやってみようかな?とかいけない想像までしはじめました。

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↑真ん中の豆腐は臭豆腐。麺の味は微妙でスープは異常に甘い。結局左上のやつと豆腐の隣のやつ(これもちょっと辛い)とりんごのみをいただく。

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↑りんごのとなりのビニール袋の赤いラーのオイルを真ん中の麺にかけて食べる。2〜3口で満足。もういいやとなる。西安名物の小麦粉のパンのようなものに、八角の豚肉をほぐしたものが挟んである肉夹馍も3日に2日に1回は出るので飽きてくる。スープは天下一品なみにコッテリ、味はほぼしないという。。。結局りんごと左のインゲン炒めとファンタと同じ味の西安のオリジナルドリンクを飲んで終了。

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毎日お昼はご飯が出ると決まっている。この時はカレーを湯煎して温めたのち、豪快にかけていただくのであります。そしてりんご、大きなお皿のチキンは問題なく美味しい、そしてブロッコリーを食べて終了。

と、こんな感じの食生活を繰り返します。5日目から10日目あたりがものすごく長く感じました。



4、シーツの下に画鋲が仕掛けてある

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極め付けはこれ。本当に想像してなかった出来事。ホテルの部屋はベッドが2つあるツインの部屋なので、一番入り口側を寝床として使っていた僕は、窓際のベッドを本を読んだりするリラックスエリアとしていたのですが、4日目のあるとき、立ち上がろうとしてベッドの淵へ移動したら、お尻のあたりに鋭い痛みが。シーツの下に尖ったものがあり、見てみるとなんと画鋲が3つ入っていました。壁には画鋲の類などはなく、偶然に落ちたものではなかったので海外からの帰国者が宿泊することをわかっていてのホテル側の嫌がらせだったのだと思います。それを考えた時に、清掃がされていなかったりしたのも全て納得がいくものでした。幸いにも大した怪我にはならず、ホテルにクレームを入れたら防護服の若者が『ごめんなさい、大変すいません!と言ってお水のボトルを3本とティーバッグを5つほどくれて終了。せめてビールくらい欲しかった。



5、部屋から出てはダメなはずなのに連れ出される



基本隔離中は、ホテルの部屋の外に出ることは禁止されています。監視カメラはバッチリついていますし、きちんと録画もされています。ですがPCR検査の日。防護服の担当者が部屋の呼び鈴を鳴らすと、『マスクをしてついてきてくれますか?手伝って欲しいんです』と。え、外に出て大丈夫なの?というと大丈夫だと。
そして同じフロアの逆側に連れて行かれると、そこには外国人で日本語少しと英語しか話せない方が、PCR検査代の80元を持っておらず、クレジットカードも問題があって使えなかったとのこと。彼は2000円を握りしめていましたが、検査の人たちは両替はできない。そしてホテルの代金は日本円で払ったとのこと。ただPCR検査の係の人は病院から派遣されていて、ホテルのスタッフではないので両替をすることはできないという。

とりあえず彼の分も僕が支払い、彼から2000円をもらって解決。お釣りはいらない、というので2000円そのままもらいました。部屋から出ないようにと監視カメラでもしっかり監視している割には、意外と現場判断で臨機応変に対応できるのが拍子抜けした出来事でした。こっそり抜け出しても大丈夫なのでは?と少し思ってしまった。


以上が、最初の隔離2週間の間に起こった出来事でした。


そして無事1回目の隔離(2週間が終了)。
隔離中に中国国内でもデルタ株の感染者が発見され、感染者が発見されたエリアを中心に隔離強化の動きが広がります。

このまま西安で2回目の隔離も済ませようかと思ったのですが、1回目の隔離ホテルから、結局他のホテルに移動しなくてはならず、そして西安だと追加で2週間の隔離が条件になっていたので、僕らの中国人メンバーの地元・洛陽で隔離を迎えようということになりました。当時、洛陽のある河南省では感染者は出ておらず、追加隔離も1週間で済むという条件でした。

そして高速鉄道(中国の新幹線)で河南省に移動することになります。

続きはまた今度。

再见。

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