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私にとって人や文化の背景を知ることは、数学の公式の勉強と一緒

みなさん学生時代って、数学の公式、どうやって覚えてましたか?

呪文のように唱える耳コピ派?

ビジュアルで目に焼き付ける派?

私はそのどちらでもありません。

というのも、どんなに簡単な公式もその理屈が理解できないと覚えられなったんです。

数学は大学受験の直前に永遠のサヨナラを言い渡したので、具体的な例がパッと思いつかなくってあれなんだけど。

なんか解の公式とか、因数分解とかとにかくいーーーーっぱいあったじゃん。

でも公式って、こうこうこうなるから、こっちとあっちもくっついて、足し引きして、あーだこーだしたら、結果、

こうなるわけ、ドーーーン!

って感じの話じゃないですか。

だから、そのあーだこーだを理解したい。

いや、理解したいというか、理解しなきゃ公式がマジで頭に入ってこないし覚えれない。

…というか、ぶっちゃけ最後まで「公式」として覚えてなかった気もする。

でね、なんでこんな大嫌いな数学の話を急にぶり返すかっていうと、最近はじめた2つ目のnoteのことを考えててたどり着いたんです。

今は世界遺産検定に向けて勉強してるので、世界遺産のことを中心に書いているけど、そもそも私は何かのバックボーンを知ること自体が好きで。

まったく馴染みのなかったことから、馴染みはあるけど言われてみればよく知らなかったことから、その題材って言ったらなんでもいいんです。

なぜか小さい頃から異国の匂いに惹かれるから、やっぱり海外の文化を知るのが一番ワクワクはするけど、日本や地元のことだって純粋に面白いなと思える。

で、このバックボーンを知るって行為が、数学の公式でいう「理屈を理解する」ことと同義だなと思ったってわけ。

……つながった?!?!

ね、つながったよね?!?!

バックボーンってでっかくまとめてるけど、それは、歴史だったり宗教だったり、文化だったり性格だったり、経験だったりとにかく多岐にわたる。

なんならそのバックボーンを知りたい対象だって人だけでなく、建物だったり音楽だったり絵だったり、文化そのものだったり宗教だったり、いろいろ。

でさ、これらのバックボーン(=理屈)を少しでも知っていると、その思考回路や言動がちょっと予測できるじゃん。

こういう背景があるから、こういう考えになるだろう、きっとこういうものは気に入ってくれるだろう、でもこれはあんま好きじゃないだろうな、とか。

別に「異文化理解」とか仰々しいことを言ってるわけではなく、これって目の前の友だちにだって当てはまります。

長い付き合いの友だちだと、必然的にバックボーンを理解しているから、何も言わずとも考えてることが分かってきますよね。

阿吽の呼吸だし、ツーとカーで通じるし、山って言われたら川。

自分の知らない世界や、そこで育ってきた人たちが持ってるバックボーンを知ることって、私にとっては長い付き合いの友だちを理解することと何ら変わりない

「はー!あんたいっつもそう言うのは、そういうことがあったからなのか~!なるほどね!おもしれーヤツ!」ってなるのが、おもしれーから。

「なんでそればっか選ぶのかと思ったら、だからか!はー!おもしれーヤツ!」ってなるのが、おもしれーから。

「こないだこう言ってたから、これ好きかなと思って選んだんだよ!ぷぷぷ、図星か!よかった!」ってなるのが、楽しいから。

数学のと違って、そういう公式はめちゃくちゃ面白いからどんどん知りたくなる。

だから知らない世界を知るの象徴な世界史も、まったく別の言語を知る英語も、未知なる地球や宇宙の歴史を知る地学も、めっちゃ好きだった、し点数そこそこ良かった。

数学も面白いと思えたらよかったのにな…




…てか異文化理解とか仰々しいことじゃないって言ったけど、違うな、むしろ逆だわ。

自分以外とのすべての交流は異文化理解だわ。

自分の常識は誰かの非常識だもんね。

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