言葉は刃物
かなり昔の話なんですが、ある学者さんが「ゲーム脳」という言葉を発明して話題になったことがあります。その議論は、「ゲームは脳に悪い影響を与えるのか」というのが主題でした。
私から言わせれば……
自殺を考えてた少年がゲームで救われたってケースもあれば、フライトシミュレータにはまってハイジャック起こしたヤツもいる。エロゲーで性欲を解消できてるヤツもいれば、エロゲーで覚えた変な作法を常識だと思い込んで実践でやっちゃうバカもいる。俺なんてシューティングゲーム作りたくて二次関数や三角関数覚えたわ。
包丁1本持たせて絶品の料理を作れるヤツもいれば、人を刺すヤツもいる。「包丁は正しいか悪いか」なんて議論はナンセンスだ。
なんてことを当時運営してたブログに書いたら、ある国会議員さんがこの包丁の喩えを引用(悪く言えばパクリですが)してくれて結構嬉しかったんですよ。
あ、ここまでは話の枕であって、本題とはあまり関係がありません。
で、包丁と言えば刃物。刃物と言うと言葉も刃物なんです。「ペンは剣よりも強し」と言うくらいで。
ただ、「剣」は武器としての刃物なんですが、同じ刃物でもメスになると医療器具ってことになります。
心を病んでる人と対峙し、何とかしてあげようと思った場合、このメスが必要になることがあります。でもこのメスの使い方ってのはものすごく難しいものでして、どこに何cmくらい入れれば良いのか、力加減はどのくらいか、いやそもそも自分がメスを握って良いのか。プロの精神科医や心理カウンセラーだって絶対の法則を持ってはいないんです。精神科医だと、薬を出すのが仕事って思ってる医者も多いですしね。
さらにこのメスの使い方を難しくしているのは、患者に麻酔を使えないという点です。物理的な手術であればとりあえず全身麻酔さえしてしまえば患者はじっとしていますが、心を病んだ患者に言葉のメスを入れるのは、そもそも相手は動きっぱなしで、手術台に乗る意思すらない場合もあるというのが難点なんです。そういう場合は、やはり言葉の麻酔で落ち着かせ、核心的な言葉で施術に入るってなプロセスを経ることになるわけですよ。
この手の話は過去にもツイキャスなんかで何度か触れているのですが、今般、プラスマイナス岩橋さんの騒動を見て、「あ、メスを弾いちゃう人だ」なんて思ったわけです。
最初は制作会社の社長さんからイジメに遭ってたという話。これが本当なら完全に刑事立件されるべき暴力なので深刻です。ただ、倫理的に正しいかどうかという話と、そのやり方で得するか損するかという話は別でして、どうやらその後のことは何も考えずに暴走してしまった岩橋さんは、(その話が事実だとして)被害者ではあるけども、後処理できないだろうなと。
案の定暴走は続き、元々の話とは関係のない、「先輩に女をアテンドしたけど無下に扱われた」とか「ダレダレに挨拶を無視された」といった恨み節に発展していきます。
これをやっちゃうと、たとえフリーになって芸人を続けるにしても、芸人そのものをやめてどこかに就職するにしても、彼は「アンタッチャブルな存在」として人が近づいてこなくなるんですよ。
我々はSNSとネットニュースからしか情報が得られませんが、当然ながら我々一般人が知らないところで芸人仲間や先輩からの声掛けは多数あったはずです。にも拘らず暴走が止まらないのは、彼がそれだけ病んでいたということであり、かつ診察室に入ろうとすらしなかった」ということなんでしょう。
…と、noteでは書き散らしといて、後日「メスを握る者の覚悟」みたいな話を追記してブログに投稿しようと思ってます。
https://chinokobito.net/psychology/subject-i
https://chinokobito.net/psychology/codependent
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