手で作ると無意識の自分が顔を出す

家の片付けをしていたり庭の草刈りをしてると、いつの間にか時間が過ぎていているのに「気持ちのいい疲労感」を感じる事ってありませんか?スマホをずっとスクロールさせてるのもそれなりに没頭する作業なんですがこちらは「気持ちのいい疲労感」を感じる方はあまりいないのではないでしょうか?この違いはなんだろうと考えていた時に、あるご縁があってレゴ・シリアスプレイというものに出会いました。

レゴ・シリアスプレイとはブロック玩具のレゴ社が開発したビジネスや大人向けのプログラムです。これは大人がテーマに合わせてレゴブロックを即興的に組み立ててそれを説明する事で、その人の考え方をチームで共有し合う流れが基本となっていて、主にチームでの意見共有や関係性強化などに使われます。結構成り立ちは本格的で、レゴ社の教育用途部門(例えばプログラミングと合わせてロボットを作るようなパッケージを作っている部門)がMIT(マサチューセッツ工科大学)と共同開発していて、「真剣に遊ぶこと」で人の考えていることを炙り出す設計になっています。

実際にこれを体験してみて、いきなり衝撃が走りました。
「説明書がないと作れない。。。」
子供の頃は説明書がなくても町や宇宙船などを作って遊んでいた記憶があったのですが、目の前にあるバラバラのパーツを広げて「さぁ、今日の気分をテーマに自由に組み立てて下さいー」と言われると頭の固い私はいきなり思考停止してしまいました。しかも作る時間は5分程度と短く、テーマに合わせてあれこれストーリーを考えてから組み立てては間に合いません。となると目に入ったパーツを感覚でくっつけて、時間終了。ここからは作品をチームごとにお互いに説明する時間です。感覚で作った作品なので説明も当然論理的にするのは厳しいのですが、「こじつけ」して無理やり話を作って発表します。そして次に質問時間。「なぜここは赤いブロックなの?」「この人はなぜ上を向いているの?」など考えて配置していなかったところに次々と質問が飛んでくるのですが、当然意図があったところではないので今度は「後づけ」で説明します。そしてそうした「こじつけ」や「後づけ」を振り返る事で無意識的な部分に気づいたり、チームで交互に気づいたことを共有するという流れでした。

実際にやってみて思ったことは自分で考えている事を文章にしたり、考えてから絵にするということとの違いです。考えている事を形にするのは一度頭の中で整理してからそれを具体化する作業だと思います。一方でこれは頭から出てきたものをそのまま形にして、それを分析する作業なのでかなり無意識な自分が現れる可能性があるのではないかな?と思いました。

これは創造性を発揮するプロセスに似たところがあります。新しいことを考える創造的思考には物事をいつもと違う視点から捉えることで、バイアスに捉われた論理的思考から「飛躍」することが必要です。バイアスは自分の知識や経験を元に構築されているので、経験者や専門家ほど視点を変えるのは困難になります。自分の考えている事を文章や絵にする場合は、伝えやすくする為に論理的に構成します。一方でレゴ・シリアスプレイのような方法だといつもと違う視点に「追い込まれる」ので、なんとなくできた部分に強制的に意味づけをする必要があり、自分の論理的に説明しようとする文脈から「飛躍」することが起きます。頭で考えてから作らないのが大事なんでしょうかね。

子供と違って大人はあれこれ考えてから行動することが多くなったような気がしますが、無心になってレゴブロックで遊んでみてそれを見てなぜそれを作ったのか考えてみると新しい自分に気づくことがあるかもしれません。質問のキーワードは「あえて言うなら~」だそうです。たまにはお休みの日に久々にレゴブロックで遊んでみるのはいかがでしょうか?

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