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#17 コロコロがやってくる

僕の生まれ育った町には信号機と本屋がない。信号機がない環境は、僕たちに思いやりと譲り合いの精神を与えてくれたけど、本屋がないとなると失うものこそあれ得るものは何もなかった。本は、親に車に乗せてもらって市街地へ行かないと手に入らない高価なもの、というイメージがあった。

両親が読書好きだった関係で、家にはもの凄い数の本があった。夏目漱石や太宰治、三島由紀夫といった文豪から清少納言まで。僕が彼らに影響を受けるのはもっと先の話で、小学生時代は文学なんてものはわからなかったし、コロコロコミックの方がよほど読みたかった。

基本的にマンガ本禁止令が発令されっぱなしだった実家だが、どういう風の吹き回しか、ある日突然母親がコロコロコミックを買ってくれた。しかも定期購読を申し込んでくれて、街まで行かなくても毎月コロコロが勝手にやってくるようになった。ご飯と風呂の時間以外はトイレにまで持って行って貪るように読んでいたのを何となく覚えている。

今回は「コロコロがやってくる」です。
ちなみに君は世代?

月に一回コロコロがやってくる日は玄関まで走っていって、本屋さんがカバンから取り出すが早いか、すかさず受け取っていた。そんな僕を、目を細めて実に嬉しそうに眺めていた本屋さんの優しい笑顔が今でも忘れられない。その笑顔には、ガンディーが仏になったような、強い優しさが溢れていた。

アマゾンで注文すれば今もコロコロは家にやってくるのだろうけど、ガンディーみたいな仏はやってこない。昔よりも便利にコロコロが手に入るようになったのと引き換えに、現代では「コロコロしか手に入らなくなった」のである。あの本屋さんから僕は確かにコロコロも受け取ったけど、それ以外にもっと、優しさや、喜びや、大袈裟になるけど無償の愛とか、そういったものも一緒にもらっていた気がする。

生産者主導の経済はいまやとっくに終わっていて、消費者の趣向が製品を生み出すような時代だ。どっちが良い悪いではないけれど、そういう時代にあっては、世の中の変化にどんどんついていかざるを得ない。このほどChiraも、自身初となる楽曲のオンライン配信を始めた。

1曲からお手軽にスマホで聴けるのはいいことだし便利だと思う。その一方、自分らが育ってきたCD文化みたいなものが無いことを寂しく感じたりもする。早く聴きたいのに焦れば焦るほど開けられないビニールケース。ガッチリ蓋が閉まっていて、むりやり開けたら割れるんじゃないかとヒヤヒヤしながらさらに焦る手元。頭出ししているコンポの「キュルキュルキュル...」という機械音。それが終わって曲が始まるまでの一瞬の空気の音。そういう体験は、残念ながらApple MusicやSpotifyではお目にかかることはない。

言葉にできない感動やワクワクを届けるのがエンターテイメントだとしたら、CDはその最高の運び屋だ。だからこそ、オンライン配信一本ではなく未だにCDも手作りでプレスしているし、それを辞める気もない。

そんな僕の信念の根底には、あのガンディーが仏になったような笑顔があったりするのだった。

Chira

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