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お祝いどうする問題

昨年から結婚出産ラッシュに巻き込まれている。

あぁ、もうそんな年か。
一人目育児、本当に辛かったな。
みんなおめでとう。

そんな穏やかな気持ちになれるのは、今の生活に不満がないからなのだろう。
その幸せを噛み締める時間を邪魔するものがある。

お祝いどうする問題

お金が関わってくるだけに、なかなか面倒だ。
それにお祝いとは気持ちなのだから、内祝がなかったりしても何も文句が言えないのも厄介だ。

今回は「私の常識とは違う」と思った案件をまとめておきたい。

①義兄弟間でのお祝い

旦那の弟が結婚したときのこと。
私達の結婚の際は義弟が当時学生だったということもあり、お祝いは全く貰っていない
そういった背景もあって、義両親が開いた両家顔合わせ食事会の際には全家庭に一つずつ手土産を渡すだけでいいと思っていた。
開催の数日前になって、義父から「形だけでも御祝を包んであげてほしい」と言われたので、相場価格で準備した。

そして当日。
義弟夫婦からは私達家族の分だけ手土産がなく、また取り繕う様子もない異文化を体感することになる。

そんな夫婦なので当然のことのようにお祝い返しはないし、義両親もこのことを知っているので余り顔を合わせないように配慮してくれている。(優しい)

②TLで匂わせるだけの人

少しずつTwitterからnoteにメインユーズを移しているとはいえ、まだまだTwitterの居心地は最高である。
私が出産報告をしたあと、いいねをつけてくれた同級生のツイートがタイムラインに流れてきた
出産ラッシュでお祝い何にしようか選ぶの楽しい」(意訳)
私もこれに含まれてるのか?と思ったがメンションでもないし、「お祝い待ってるね」なんて言えるほど図々しく生きていないのでそっと見ないふりを決めた。
しかし待てど暮らせどその子から連絡はない

おそらく、最適解は例のツイートに「私は気持ちだけで十分だよ。ありがとう」なのだろうけど、そもそも私に向けてではない可能性もある。
そもそも個人的にメッセージを送ってこない時点でそんなにお祝いする気は無いのだろうなと冷ややかな目で見てしまう。

何にモヤるかというと、お祝いをする責任もしない責任も相手に委ねている点だ。
もっと深く言えば、お祝いをしない理由を相手からもらおうとしている点だ。

「出産ラッシュでお祝い何にしようか選ぶの楽しい」
と言われて反応するということは、「私はあなたからお祝いをもらって当然」と言ってるのと同じで、自身がないとなかなか難しい。

そしてこれは私がやったことだが、今の時代、お祝いなんてURLを送りつけるだけで十分気持ちは伝えられる

お祝いは確かに気持ちだという側面はあるけれど、言葉以外のなにかが無ければそれを推し測ることは難しい
何故なら気持ちは相手を思う時間にあらわれるからだ。
何かをもらったとき「私の好みや事情を考えてくれている」と思えるものはとても嬉しい。それは相手の大切な時間を自分に費やしてくれたのだと感じられるからだ。

御縁の寿命

そんなわけで結婚と二児の出産を経て、私の人間関係はだいぶ希薄になってしまった。

同級生の結婚式に招待されて沁み沁みすることがあった。それは「私にお祝いさせてくれてありがとう」だ。
結婚式は席に限りがあるし、新郎新婦で数も合わせるのが一般的。そんな貴重な一席を私にくれるだなんて有り難いことだと思う。

人と人の縁にも寿命があるという。
子供という自分よりも大切な存在ができて、友人関係を重視しなくなるのはある意味当然だ。
自分のご機嫌を取るためにも、大切にしてくれる人たちを優先したいし、離れていく人たちを追うつもりもない。

多分これが大人になるということなのかもしれない。


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