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フリーランス主婦の生き方。子供の手が離れた時、何にもないババアになってちゃダメだ。

本当は大声で勧めたいんだ。フリーランスがどんだけステキな生き方になるか。でも「じゃー、どうやったらフリーになれるのか教えてよ」って言われるが、その前に、フリーランスとして生きる魅力だけ記しておきたい。

4年前。「わたしの人生子育てしてこのまま終わり?」くらいの絶望しかなかった自分に読んでほしい。フリーとしてどうやって生きるか?を考える前に「フリーランスは主婦ならではの生き方」と提言しておこ。

4年前の自分よ。子育てについて不安ばっかでスマホを見ていると思うけど「幼稚園探しのノウハウ」とか「オムツ外しの年齢」とかそんなん調べなくてええわ。幼稚園は時期が来たら、いくつ選択肢から迷っても、選ぶのはどのみち二択くらいになる。オムツ外しをいつしたらいいか悩んでも、思春期にオムツしている子供はほぼいない。いつかは外れる。大丈夫。はい、解決。

◾️「働く」と「子育て」 両立の真実

仕事と育児の両立っていうのは、どこぞかしこで見かけるネット記事の1つ。誰もが子供におっぱいをあげながら読んでると思う。わたしは、赤ちゃんがとりあえず寝て、夫もいなくて、ポツンとなった時間に始まる「育児の不安探し」で必ず読んでいた。

朝5時くらいに起きて、準備して保育園に送り届けて、がっつり働いて、夕方5時にはお迎え。そんな分刻みの毎日。家に帰ったら、朝のまんまの部屋があって。間に合わなかった洗い物とか、保育園の洗濯物とか。保育園児はとにかく服が大量に必要。部屋のあちこちに服が散乱。しっちゃかめっちゃかになった部屋の隅で、遊び出す子供。しかしとにかく先にご飯を食べさせて、お風呂に入って寝かせないと!と思い、寝かしつけで一緒に寝落ち。絶望で目覚める午前1時。そんな毎日でもルーティン化すれば、それは外から見たら立派な「両立」だ。

それをね、毎日こなすだけでも「すごい」としか言えない。

そんな両立ママたちのいうことは大概同じ。「テレビ見ている暇もない」「とにかく家が片付かない」「子供のことを見ていられない」

◾️フリー1年目のわたしの両立。

フリー1年で、だいたいルーティンが完成した。朝が一番、頭が冴える。というわけで朝5時に起きる。とりあえずコーヒーを入れて、メールチェックで返信したり、今日のやることを確認して、仕事の下準備を整えておく。考えるべきことがあれば、この時点でメモを取っておく。

夫が起きて朝食の支度をする。子供達も起きられるなら、みんなで朝ごはん。普通にパンがあって、エッグがあって、サラダもあって、フルーツもあって。朝食が一番エネルギーを蓄える食卓なので、もっさり並べていた。朝の糖分も体にはいいということで、たまにケーキ食べちゃったりとかw

単純に、自分が出かけないから、朝食に時間をかけてあげられる。それだけ。

夫が仕事に行ったあと、片付けをする。子供達はその間に朝のEテレで踊ったり、歌ったり、まぁ朝の運動ってとこだね。その間に、洗濯したり掃除したりしながら、ちょこっとずつ子供達をかまいながら。家事を終えていく。一通り終わった時に、子供達を連れて朝公園に行ったり、買い物にしたりしてた。あまりママ友というものは作らなかった。

子供達がお昼寝している間に、仕事をやる。正味2時間。ご飯食べたり、お風呂入れたりして、8時くらいまでには寝かしつけた。そこから夫が帰宅するまで、また仕事をした。そこもだいたい2時間くらい。これを週4日くらい。

朝、昼、晩。2時間ずつの仕事で、一日6時間も費やせる。それは、1日の4分の1にもなるわけで、残りを全て家事と育児に費やしている。子供と遊ぶこともできる。ちょっと手の込んだ料理も作れる。通勤時間、保育園送迎の手間、全てを取っ払ったのが、フリーランスが子育てと両立できる最大の利点。

◾️子供が赤ちゃんなら、ママ友はいらん。

ママ友ってのは読んで字のごとく「ママの友達」。子供の友達ではない。子供が赤ちゃんから3歳くらいなら、誰と遊んでも一緒。同世代の子供と遊ばせたいときは、公園や支援センターに連れてって、一期一会で十分。その子のことは明日には忘れるんだからw。

ママ友ができるとママがおしゃべりしたりリフレッシュしたり、相談できる人がいて、大切だけど。気が合えばいいが、学生時代の友達ではない。価値観も育った環境も違えば、子育てに対する考え方も違うから「合わないな」と思った瞬間から、すごく義務的な付き合いになる。友達のようで、友達ではない関係になる。そのうち、そのコミュニティが大きくなって、大人数で遊ばせて、付き合いでランチがあって…ってとこまで行き着いたら末期。アリ地獄から抜け出せない。

なぜか抜け出せない、ママ友。おそらく「子供たちが兄弟感覚になってしまう」ことがある気がする。

特定の子供としょっちゅう遊んでいると、その子がいないことに不安を覚える子供がよくいる。「今日、●●ちゃんは?」みたいな。休日出かけても聞いてくる始末。しまいにゃ、幼稚園は一緒ではないなんてことになったら、幼稚園に入ってからが大変。それで「●●ちゃんと同じところにしたいから、ここの幼稚園にした」っていう、自分で探した感じもしない、抜け出せないコミュニティからの選択で選んだりするんだ。

ママ友というキーワードでの検索もすごいしていたわたし。ママ友がいないと、遊べる子がいなくて、うちの子がかわいそうなんじゃないか?って思ってね。

んなことない。満遍なくいろんな子供と出会わせて、その場限りの子供とでも遊べれば子供は大満足。「あの子、また会えるといいね」って子供と話したりもした。(まあ大概会えないけどな)。必要な情報は、その場限りで聞いといて(幼稚園ネタとか、子育ての悩みとか)。自分に有益な情報だけいいとこ取りしておく。

そうして、幼稚園は自分の嗅覚を存分に使って、自分の子供にあったところを選べるんだ。「新しいお友達はドキドキするね」って言いながらね。

◾️ママ友を作るなら、自分の世界を構築し直せ。

家に1人でいる寂しさ、夫に理解してもらえない育児の辛さ。そういうものを分かち合える「同志」はいたら本当に心強いんだけどね。でもその寂しさは「自分らしさの欠如」が生み出しているという根本に気づいた方がいい。

今まで、社会で働いてきて。友達がいて、恋人がいて。趣味があって、夢がある。そういう積み上げてきたものが、一旦ガラガラ〜って崩れるのが、結婚と出産だと思ってる。実際は崩れて、がれきになったわけじゃない。見えなくなっただけ。急激な現実の変化に順応するために、目の前のことに命をかける。それが結婚生活の維持だったり、子育てという未知との遭遇だったり。

ママ友とつまらん「お茶会」開いてる時間があったら、自分の好きなことを思い出した方がいい。アクセを作るのが好きだったとか、漫画読むのが好きだったとか。そういう今できる「自分の世界の再構築」に全力注いだ方がいい。

フリーランスの始まりは、 必ず「自分の世界のビジネス化」

わたしは自分の「仕事の夢」を思い出す作業に費やした。働くなら社会復帰じゃなくて、絶対にフリーになろう。と。フリーとして生きていくために今必要なスキルとフリーの始め方をずっと調べてた。自分に「未来」を感じることが、「今の余裕を生む」。それだけは絶対正しい。

◾️結局、自分の子供を見ていればタイミングは見失わない

子育ては未知すぎるくせに、時間だけが早くすぎていくから、情報の収集を急かされる世界であることは間違いない。このワールドはとにかく「変化」がものすごいから。今日の悩みが「母乳飲まない」でも、明日の悩みは「離乳食のタイミング」だからな。一個一個調べているのも大変だから、手っ取り早くアンテナ的な人に出会えると楽なんだよな。近所のママ友先輩とかね。数ヶ月先輩なだけでも、大御所感が半端ないんだわ。ほんと。

でも、本当は周りに流されることなく「我が子のペースで」育てるのが一番いいって言われる。っていうか、ネットで書かれてることが多い。あーだこーだ知識を植え付けてきて、最終的には「ママが赤ちゃんをしっかり見ててあげてね。そろそろかな?がタイミングです」とか書きやがる!

結局いつだよ!!的な。

基本的な育児のノウハウは妊娠中に、産婦人科で割と教えてくれる。なんとなく1歳までの流れを知っていたら、あとは「子供を見ていればいい」っていうのは本当だ。近所のあの子が離乳食始めたからわたしもーとか言って、うちは吐き散らかした。とかも全然ある。

吐いたら「4ヶ月 離乳食 吐く」で検索しちゃう。(これ、余計な手間)。毎日子供と向き合っていれば、「あ、今日いけそう!」ってタイミングは必ず来る。機嫌がいい時、なんか歯をもごもごさせてる時。別に必ず「食事」からじゃなくてもいい。赤ちゃんせんべいから始めたっていいんだから。どうせ赤ちゃんは「おやつ」と「食事」の区別はつきやしない。

◾️子育てで「今までの自分とは違う誰か」になろうとする

代理店で朝から晩まで、時には徹夜で働いていたわたしが妊娠した時(結婚した時も)、周囲はえらいびっくりしていた。「あんたにできるの?」みたいな。失礼やな。毎日「仕事仕事」って男みたいに言ってたから、わたしがお腹を大きくして、出産して、子供を育てるなんて誰も想像していなかったに違いない。

わたし自身、想像していないっていうか、想像できなかったんだから。そのため、産まれた瞬間「わたしは母として生きていく」という呪縛を自分にかけたと思う。だから「仕事のことは忘れる」とにかく完璧な育児を目指していた。

でも数年もしないうちに、無理が生じてきた。仕事をすることが自分の中で「生きている実感」だったり「楽しさの追求」だったりしたのに、それを全部捨てて育児していたら、夢も希望も失った。子供という希望が目の前にあるのに、それが見えていないのは「かつての自分を見殺しにして、違う何者かになろうとした」に他ならない。自分の世界は絶対に捨てちゃダメだ。捨てちゃダメだ。捨てちゃダメだ。

女性は母親になると、全て犠牲にしてしまいたくなるんだ。だけど、それは自分で自分を殺すのも一緒。自分の好きなこと、自分の好きな世界。その世界に居られる時間が少なくなっても、絶対1日に1回、その世界とアクセスするべき。

すこーしずつ、すこーしずつ、その世界との繋がりが再び強固になっていく時期が来る。そう、子供の手が少しずつ離れていく時。子供が自立した時、何もなくなった自分を見ても、その時間が長ければ長いほど「自分は何を愛していたか」を思い出せなくなっているかもしれない。何もないババアになっちゃダメだ。

子育てに必死すぎて、気づいたらババアだった。と思うより、「生き方最高なババアになるためにはどうしたらいいか」をずっと自分の世界とアクセスしながら生きていくフリーランスは、ババアになってからが強い気がする。子供が自立しても、自立したババアになれる。(ババア、ババアうるさいな)

わたしはそんなババアを目指す。





自分の頭の中を紙に書き出す整理習慣が「自分の幸せ」を引き出す手法の1つとして広めたいです。わたしがそれで幸せになったので、メソッドを作りたいと計画中です。