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「法隆寺」を堪能する-第1回~西院伽藍

前回はこちらです↓

この日の本命、夢殿・救世観音を堪能できたので、午後はのんびりと西院伽藍を下見がてら散策しようと、ゆったりとした気持ちで、再び南大門から入りました。

金剛力士像のある「中門」は通行禁止のため、グルっと左へ迂回しての入場です。
本当中門の中央をくぐり抜けたいところですが、これもまた建造物保護のためには仕方のない事なのでしょう。

中門左には、「世界遺産 法隆寺」と書かれた寺号碑があり、ちょうど後ろには五重塔を臨める絶好の撮影スポットがあります。


建物を支える動物たち

東院伽藍でのメインである五重塔と金堂には、よく見ると様々な者たちが渾身の気合を込めて軒下を支えています。

五重塔の邪鬼たちはちゃんと阿吽のペアになっているようです。

五重塔
吽形がピンボケですみません💦

これらの邪鬼は江戸時代に補強のために付け加えられたそうで、単なる「つっかえ棒」にとどまっていないあたりは、当時の職人たちの遊び心がふんだんに感じられます。

しかもそれぞれの踏ん張るポーズが違っています。

阿形:「あ゛~~!」
吽形:「ん゛~~~!!」
まるで両者の合唱?が聞こえてきそうなリアルさです。

かなりキツそうです💦

五重塔のどこかに獅子もいるはずなのですが、他の事に気を取られて確認し忘れました

お隣の金堂に目を向けると軒下を支える柱には「龍」さらには「ゾウ」らしきものも見られました。

写真は「下り龍」しか収めていませんが、「昇り龍」もあります。
古来、中国で龍は「偉人」を表し帝位の証とされ、吉兆をもたらす神獣とされていました。

過去に被った法隆寺の災いから護るために願いを込められたのでしょうか。

そしてなぜゾウが?

仏教でゾウは「富と繁栄」を象徴する神として崇められ、インドの三大神様のおひとりであるシヴァ神の長男・歓喜天かんきてんがゾウの姿をされています。
あるいは普賢菩薩が乗る霊獣がゾウであったり、お釈迦様が白いゾウに乗って母胎に入られたとか。

何かとゾウは仏教界では欠かせないお役目を担った存在のようです。


斑鳩の里
観光ボランティアの会

次は金堂や五重塔の内部を一通り丹念に観察していると、地元ボランティアのユニフォームを着た方を発見し、お一人になられたところに声がけしてみました。

その方は法隆寺のボランティアガイドの方で仮にFさんとして話を進めていきます。
後に判った事ですが、Fさんのご年齢は84歳とのこと。
それなのに足腰も活舌もしっかりされていて、私たちの方がついてゆくのに四苦八苦したほどでした。

Fさんとの出会いにより、適当に下見のつもりが予想外に充実した内容になり、膨大な情報を一気に得たため記憶が曖昧で、以降は印象に残った事だけをピックアップします。

※内部は撮影禁止のため、手持ちの本やパンフレットより引用しています。


金堂

上部の天蓋ごとに中央の「中の間」、向かって右が「東の間」、左が「西の間」の3室に分かれています。

中の間が釈迦三尊、東の間が薬師如来、西の間が阿弥陀三尊。
釈迦三尊の両脇には毘沙門天(右)、吉祥天(左)が並ぶ。
手前左右の像は須弥壇の四隅に立つ四天王像。
古寺行こう(1)

荘厳な雰囲気の下、飛鳥時代の仏像たちが静かに並んでる中で、私の好みはやはり東の間の「薬師如来像」です。

法隆寺の起源となった仏像で、聖徳太子の父・用明ようめい天皇が自らの病気平癒を願った意志を引き継ぎ造ったと言われる。

斑鳩・法隆寺観光パンフレットより

中央・中の間の釈迦如来とよく似ていて、面長の顔立ちはわずかに微笑み、ポーズが同じです。
手の印相は左手が願いを行き届ける「与願印よがんいん」、右手が恐れを除く「施無畏印せむいいん」。

四天王の姿は私たちが知る一般的なものとは随分違っていて、元はこのような姿でここから進化したようです。
踏みつけている邪鬼も様子が違い、見ようによっては近未来のロボットのように見えてしまいました。

五重塔

北面に釈迦入滅のシーンが表現されていました。

「古寺行こう(1)」

釈迦の死を嘆いている弟子たちの表情がリアルで、深い悲しみが伝わります。
そしてこの人物群の中に人ではない者●●●●●●が紛れているとの事ですがどこにいるか、見つける事はできませんでした。

「それって迦楼羅カルラかなんかですか?」とチコさんがいうと、
「そうそう。そんな感じや。」とFさん。

カルラってくちばしを持った鳥のような姿ですよね?
手元の本を見ても見つけられないので、正面から見えない位置にいるのかもしれません。

驚くことにこれらも土でできた塑像そぞうであることに衝撃を受けました。
造られたのは奈良時代の711年ですので、1300年以上も経っています。
当時は鮮やかに施されてい彩色はさすがに剝げ落ちていますが、それでもここまで形が損なわれずに保存されていることに感動してしまいます。

私は手持ちの雑誌を見ていたので、思ったよりかなり小さく、しかも金網で覆われていたのもあり、肉眼ではっきり見るのは難しい状況でした。

回廊

西院伽藍は大講堂からぐるりと五重塔と金堂を回廊が取り囲んでいます。

法隆寺の主要建造物の柱の特徴として、ふくらみのある柱が挙げられます。
胴張りと呼ばれます。

世界遺産法隆寺から学ぶ 寺院の歩き方

一般的に「エンタシス」とは緩やかなふくらみを持つ形状を指し、日本語では側面が膨らんだ状態の「胴張り」ともいうらしい。
ギリシャ神殿に見られるものとは大きく違い、法隆寺の胴張りは柱の下部3分の1の位置が最大に膨らみ、それを起点に上下に向かって僅かな曲線を描いています。

その法隆寺独自の胴張りエンタシスが均等に並ぶ光景は壮観です。
よく見ると、柱のあちこちに継ぎ接ぎが確認できて、この世界遺産の建築を後世に残すための努力が見られます。
Fさんによると、胴張りエンタシスではなく真っ直ぐの柱がところどこあるのは修繕した年代によるものらしいです。

その理由は、何かやむを得ない事情によるかもしれないですが、いずれにしても時代を超えて修繕・修復の技術も継承されている事実に悠久の歴史を感じ、その努力と実績に尊敬の念抱かずにはいられません。

連子れんし窓の桟木の太さが、全体的に上部が細く不揃いなのは「風」のせいだという。
建造物には風通しは必要なのですが、朽ちてゆく大きな原因が「風」なのであれば、丁度良い塩梅が必要とされるらしいです。

講堂

法隆寺最大の建物。講堂は僧侶たちの教学の場であり、また法要を営む神聖な空間。

古寺行こう(1) 法隆寺 小学館

須弥壇の中央には薬師三尊像が鎮座され、四隅には四天王が安置されていますが、それは私たちがよく見る形の四天王で、先ほど見た「金堂」のものと大きく違うのは、時代が下った平安時代・10世紀末のものだからです。

こちらの内部の柱は朱色なのですが、ここも下部のみ色が剥げているのは、やはり「風」が原因との事。
風の威力はすごい!

正岡子規の歌碑

Fさんにちょっとした質問をしたことで、急遽ガイドツアーが始まったので、てっきり西院伽藍だけかと思っていたら、なんとまだまだツアーを続けて下さるようで、喜んで後に続くのですが、ついてゆくのが必死でした💦

恐るべき84歳!歩くのが早くて、やっとの思いでついていった💦

西院伽藍出口すぐの「鏡池」のところに正岡子規の直筆による歌碑があります。

~柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺~

冒頭に「法隆寺の茶店に憩ひて」とあるように、
ここに当時は茶店があったが火を扱う商売を危険視して撤去された。

あまりにも有名な句ですが、実は夏目漱石の作品の本歌取りとのことです。
~鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺~
確かによく似た句です。
子規と漱石は友情関係にあり、当時はどちらの句もたいして評価されなかったようですが、少なくとも子規の「柿食えば…」は俳句の代表作と言うぐらい有名になりましたね。

この奈良を訪れたのは明治28年(1895)10月、そのわすが7年後に35歳で結核により没した子規にとって最後の旅となりました。


大宝蔵院

西院伽藍の東隣、左「東室ひがしむろ」と右「妻室さいいしつ
法隆寺の僧の生活の場。
東室ひがしむろひさしや縁側付き。
しかし弟子たちの妻室さいしつには窓すらなく、厳しい身分格差が見て取れる。

移動中にもあちこちでガイドしてくれて、本当に頭もよく回るので感心した。


そして目まぐるしい速さで到着したのが「大宝蔵院」でした。

正面から撮る暇がなかった💦

「えぇ~!ここも案内してくれるのですか?!」
思わず私は驚きを口にしてしまいました。

実はここは見どころ満載なので、次回にジックリ観ようと目論んでいて、そんなユルイ考えなど完全否定された瞬間でした。


玉虫厨子たまむしのずし」~自己犠牲の教え
随所に不思議な輝きを放つ「玉虫のはね」をあしらっているのでこの名がつきました。

飛鳥っ時代 7世 木造 総高233.3cm 国宝
日本美術のあらゆる技術を集結して作られている。
(古寺行こう(1) 法隆寺 小学館)

各面には様々な図が鮮やかに描かれていますが、特に↑写真右面の「捨身飼虎しゃしんしこ図」には自己犠牲の教えが描かれています。

要約すると、
釈迦の前世である薩埵王子さったおうじは飢えて餓死しかけている虎の親子に遭遇し、自らを餌にして虎の親子を救おうと木に登り着物を脱いで枝にかけ、虎の目前に飛び降り、食べられてしまう。

これが「捨身飼虎しゃしんしこ」という金光明経からくる教えです。

困っている人を見て同情するだけでは、何も解決しない。
言うだけではなく行動を起こすべきという教訓で、それは人々を助けるのに身命を惜しまない菩薩の姿なのです。

いやいやいや~
自ら食べられに行くなんて、凡人には無理!

この厨子はかつては現在の東院伽藍にあった聖徳太子の住まい「斑鳩宮」で発見されたらしく、太子一族は毎日この厨子を鑑賞して手を合わせていたのかもしれませんね。


百済くだら観音」~私のイチオシ!
これを見たとたん、
これだ!
と思ってしまったのは、8年前に来た時に金縛りなったように見入ってしまった仏様がいたのに、その名を思い出せずにいたのです。
あまりにも多くの仏像を鑑賞したため、何が何だかわからなっていましたが、一目見てこれだとわかりました。

飛鳥時代 7世紀中頃 木造 彩色 像高209.4cm
(古寺行こう(1) 法隆寺 小学館)

秘仏の夢殿「救世観音」は確かに素晴らしいのですが、全容がよくわからない。しかしこちらはほぼ360度から眺めることができるのです。

台座に立っているのでその長身は際立ち、思わず圧倒されずにはいられません。
やや下腹を突き出して、かる~く膝を曲げ、横から見るとゆるやかなS字カーブを描いた立ち姿で、手足が長くほっそりとした様子は、優美さの極みではないでしょうか。

まるで仏像界のスーパーモデル!!

左手で水瓶すいびょうをやや小指を立ててそっとつまんでいる所作もしなやかなのです。

お顔のかすかな笑み、スレンダーな身体、しなやかなポーズ。
優美すぎる百済観音に二度惚れです。


この後、「大宝蔵院」を出ると、Fさんは次の予約があるとのことで、名刺をいただいて別れました。
いや~結局1時間ぐらいだったでしょうか、モーレツしごきとても丁寧でテキパキしたガイドは見事なものでした。
私たちもFさんを見習って、明晰な頭脳と強靭な体力の維持を目指したいものです。

ボランティアなので無料の上、こんなにも充実した内容は素晴らしく、予約も可能とのことなので、またお願いしたいと思いました。

ただし、ある程度の覚悟は要りますが。


「和を以て貴しとなす」
聖徳太子の十七条の憲法の第一条。
Fさんによると、次は第二条と言えば書いてもらえるとのこと。
来るたびに十七条を一条ずつ書いてほしいなぁ。


サクッとカフェ

予定していたお目当てのカフェはすでに業務終了だったので、仕方なく車を出して、その途中にあるカフェに寄りました。

それにしてもまだ16時の段階で営業終了とは、信じられません💦
大阪では絶対に商売は成り立たないでしょう。

お昼が少量だったので、ちょっと重ためのおやつをいただきました。

ここはドックカフェにもなっていて、広いテラス席にはワンちゃんの鎖をつなぐところがたくさんあります。

ロコさんはワンちゃんを2匹飼っていて、何かにつけてワンちゃんの話をして、写真や動画を見せてくるのですが、興味のない私には種類が同じであれば見分けがつきません。

そのワンちゃんたちに、袴や晴れ着、浴衣などを着せてSNSに投稿したりしているのを見ると、私はあきれるばかりで辟易しています(笑)

決して犬が可愛くないわけではありませんが、あれこれ衣装を着せるのはいかがなものか?
そういえば、昨年秋に「鞍馬寺」へ行った時には、ワンちゃん用にと小さな天狗のお面を買っていましたっけ。

翌日もそのワンちゃん仲間との予定があるとのことで、このカフェで大量の焼き菓子を買っていました。
ワンちゃんを通じてのお付き合いも大変です💦
しかし、お付き合い上手のロコさんのこと、そちらでも楽しく過ごしていることでしょう。


以上、法隆寺探究の初日は、意外にも中身の濃いものとなりました。






【参考文献】
世界遺産法隆寺から学ぶ寺院の歩き方 山田 雅夫 (著)
古寺行こう(1) 法隆寺 小学館
法隆寺・御朱印

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