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パラノーマン ブライス・ホローの謎(感想)_B級ホラー感ただよう、多様性の物語

『パラノーマン ブライス・ホローの謎』はスタジオライカによる2作目の映画で、2013年に日本公開されている。監督はクリス・バトラーとサム・フェル。
好みでいうなら前作『コララインとボタンの魔女』の方が好きだけど、本作のB級感あふれるつくりもなかなか趣がある。
以下、ネタバレを含む感想などを。

変人とイジメられるノーマン

11歳の少年ノーマン・バブコックの趣味はホラー映画鑑賞やそれにまつわるグッズの収集。しかも街に漂っている人や動物の霊が視えてしまい会話まで出来てしまう。だから死後も家に留まり続ける祖母の霊とも会話が出来るが、父や姉からは信じてもらえない。
そんなだから学校へ行ってもFreak(変人)と除け者にされ、友人と呼べるのはやはり同じように周囲から浮いているニールだけ。

ある日、叔父のブレンダーガストがやってきて300年前に封じた魔女が復活してしまうから、その前に封印するようにノーマンへ言いつけてくる。
封印するためには魔女の埋められた場所で本を読む必要があるから、ノーマンは指示された通りに実行するが、その場所は魔女の呪いをかけられた7人の墓で、呪いをかけられたゾンビたちが蘇ってしまう。

魔女の正体は、当時11歳の少女アガサ・プレンダーガストで、霊と話しているところを裁判にかけられて処刑された少女だった。

そういえばスタジオライカの前作『コララインとボタンの魔女』での魔女は絶対的な悪の存在だったが、本作の魔女アガサは最終的に良心を取り戻して消えていくため対照的に描かれている。

理解不能な異質な存在を恐れる人々の集団心理によって処刑されたアガサは、300年の時を経てなお復讐を続けようとするが、孤独の辛さを知っているノーマンだからこそ、アガサの苦悩に共感し解き放つシーンには静かな感動がある。

多様性を認める物語

本作では周囲から浮いているような異質な存在を排除せずに、その存在を認めることがテーマとなっている。死者との会話が可能なノーマンからして異端だが、ニールは太っていてその兄はゲイだったりと中心人物のパーソナリティは様々だ。

また、ノーマンたちが学校で演じていた劇で教師が”メイフラワー号”や”清教徒”などと言っており、魔女裁判が300年前の出来事というあたりから本作は「セイラムの魔女裁判」が元ネタにあると思われる。

町役場を取り囲んで火を放ち、興奮した民衆がノーマンを魔術師と決めつけて襲いかかろうとする様子は魔女裁判そのもの。
一般市民が集団心理によって過激な思想や感情に染まっていくのは、300年前なら主に口コミだろうが、現代では主にSNSやマスコミの印象操作によって醸成される。

一旦SNS上で炎上してしまうと、冷静な反対意見は黙殺されて、過激で偏った意見に”いいね”が多くつく。また、マスコミの偏向報道によって罪の無い人が糾弾されたりする。
多数の幸せのために、少数が不幸になってもかまわないという考えは、いざ自分が少数派の立場になった場合への想像力が足りない。

いずれにせよ本当に怖いのは、ゾンビのように”よく分からないもの”などではなく、一部の声の大きい人の扇動によって印象操作された”自分だけは正しいと思っている一般人”の方だ。
そういう意味でノーマンとこの町の人たちは、差別的な先入観に対して打ち勝ったとも言える。

B級ホラーへのリスペクト

ノーマンが祖母と見ているテレビに映る女優の演技の拙さや、部屋に貼られたポスター・グッズなどにB級感が漂っていた。いかにもチープで、エンドロールのイラストおどろおろしいイラストのクレジットも良かった。

B級ホラーの魅力は恐怖と笑いの境界が曖昧なところにあって、コミカルな様子にはその魅力を語りたくなる要素があって、本作ではゾンビ映画やB級ホラーを好きな人たちの偏愛的な趣味に寄りそった制作陣による愛が感じられる。
作品の好みで言うと『コララインとボタンの魔女』の方が好みではあるものの、B級ホラーをオマージュしたチープなつくりには見どころがあった。

多様性をテーマにしながら、作品が重たくなり過ぎないのはストップ・モーションによるコミカルな動きや、全体に漂うB級感のおかげだろう。
ニールのアゴのたぷんとした肉の質感とか、その兄の極端な逆三角の体型など造形もよく出来ている。


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