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かすか

写真展を見るためにひさしぶりに都内に出て都心を歩いた。
ビルのあいまに咲く夾竹桃の白い花がきれいだった。咲きはじめたさるすべりの色にみとれて、どこにいても私は草木を見ている、と思う。


のうぜんかずらの橙色があちこちで咲きこぼれている。
実家の庭にも咲いていた。物干し台の近くにあって、白いシーツを干す母の肩越しに鮮やかな花が見えた。その光景がとても好きだった。


母は結婚後、家出したことがある。
そのときの話をよく父から聞いた。出窓から飛び出してサンダル履きで田んぼのほうに逃げて行ったと。
田んぼばかりがひろがる田舎道は暗くて、きっと星がきれいだったと思う。昔は天の川もはっきり見えて星がこぼれてくるようだった。
そのまま逃げおおせていたら私は生まれなかった。
結局母は戻った。

年を重ねれば重ねるほど、逃げ出してしまった母の気持ちが深く沁みてくる。
父もよく、わかっていたと思う。ふいにどうしようもなくなるときはある。私も出窓からではないけれど、縁側からときどき、父と連れだって夏の夜ふらりと出かけた。蛍を見て、星を見た。さやぐ稲のあいま、ちいさく灯るものを見て、だまってすごした。
飛び出していった母とも、父はそういう時間をすごしたのかもしれない。



ふるさとの夏は毎日のように夕立があって雷が鳴った。
稲を育む雷のことをらいさまと言って祖母はとどろく音のするたび穏やかな顔になった。
稲光とともにふりだすつよい雨が土をたたくと、おしめりを恵みとしてありがたがる。

そんなふうにあった年ごとのいとなみがくずれてきている。
最近は毎日のように夕立は来ないよ、と父は言う。空もずいぶん明るくなってね。天の川、あんまりよく見えなくなった。もういま、蛍はいないなぁ。



おとなになってから、どうにもならなくなって、外に飛び出したことがある。
ふるさとから遠い町。田んぼはない。住宅のあいまを走って土手まで行った。さやぐ稲のかわりに草がそよいで、星の代わりに水面が街灯をうつしてゆれた。
あのとき母のうえにまたたいていた星よりかすかなものを、ひとりずっと、大切に見ていた。
夏のそばには寂しさがあって、寂しさのそばに寄り添うものがある。遠くで雷が鳴った。雲のなかのかすかな閃光。やさしい光だと思った。


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