見出し画像

生きている

お盆になると、提灯をもってご先祖さまを迎えに行く。
田んぼ道、子ども用のちいさな提灯をぶらぶらさせて、おしゃべりしながらお墓に行く。
そうして、子どもみんなおんぶのかっこうをして、ご先祖さまたちをわいわい連れて帰る。

その風習がとても好きだった。


見えないだれかをおんぶする。ことばにならないけれど、たしかにそこに、だれかがいたのだと思う。それを感じていた。

死者は死んでも生きている。



戦争に行って、帰ってこなかった親族がいる。
奥座敷の長押にかけられた軍服姿の遺影を毎日のように見ていた。父によく、似ていた。

祖父の叔父にあたるその人のことを、私はあまり知らない。
知っているのは、父から伝え聞いた手紙のことだけ。


戦地から送られてきた手紙にはこうあった。

此の手紙の届く頃には、我家の梅の花も、散つてゐる事でせう。

納屋から出てきたその手紙を見て、戦後生まれの父は「これはたぶん、それとなく自分の死を伝えたかったんじゃないか」と言った。軍事郵便の検閲を免れるため、婉曲な表現でしか書けなかったけれど、さし迫っていた死を伝えたかったんじゃないか、と。
そして一同、あぁ、そうだったのか、となったそうだ。

その話を父から聞いたとき、何十年という時間を経て、手紙は読まれたのだと思った。自分によく似た子孫によって。
あの人は、梅の木が好きだった、という。
もう咲いていない、どこかにあった梅を、以来ずっと思っている。

私はその人のことも、おんぶしてきたんだと思う。



伝えたくても伝えることのできない思いがある。
書きたくても書けないことがある。
それでも外に出そうとする思い、迂回する言葉、婉曲する表現。あいまいな比喩。自分がことばに向かうとき、そういうかたちをとりがちなとき、彼のことを思う。あなたは私のなかに生きている。

遠い戦地で紙に向かい、したためたかったことはなにか。
自分の命が消えゆくこと、もう帰れないこと。そのことばのむこうにあるのは、それでもたしかに、私は生きた、ということだったかもしれない。ちいさく花びらを散らしながら薫りたつように生きたひとつの命をこそ、伝えたかったのかな、と遠く彼方を思っている。



亡き祖母から、ひとつの手記をもらった。

九十年に及ぶ自分の人生を綴ったちいさな手記。なんども、なんども読み返している。
子供時代と戦争、秘めた恋、戦後農家に嫁いでから野良仕事と針仕事に明け暮れた日々のこと。ときどき乱れる筆跡。添削箇所。あえて書かなかったこと。ことばと、そのむこうにあるものを、ずっと読んでいる。何年もかけて。

私は祖母も、おんぶしている。



あなたは負うって決めて、生まれてきたんです。

そう言われたことがある。過去世とか未来とか、人の運命が見える人に。
だれも引き受けてこなかった何百年もつづく業があって、あなたは生まれるときにそれを負うって決めてきたんです。

言われたときあまりぴんと来なかったけれど、たしかに、そこにあったら、おぶることを選ぶ気がする。お墓でずっとそうしてきたように。


書かれた言葉と、書かれなかったことば。たしかにそこにあったもの。
人が憶うとき、死者は生きている。
そこにあったたくさんの物語を背中にのせて、私たちはともに生きている。大事なのはいまで、いまを生きる自分ももちろん大切なのだけれど、ここにつらなるものを、細く伸ばされた糸のことも想っていたい。受けとめて生きるということ。大切に想って、また自分も咲き渡してゆくということ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?