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怨念のテディベア

夫と付き合いたてのころ、夫のひとり暮らしの部屋を家宅捜索したことがある。
別になにか疑っていたわけじゃないんだけど、単純に魔が差した。

合鍵で部屋に入り、夫が仕事で不在の中、ベッドの下の引き出しを漁っていると、なにやら毛布にくるまれた大きな物体を発見した。
不思議に思い、毛布をひっぺがすと、そこに現れたのはLINEのクマのキャラクター、ブラウンの30センチほどのぬいぐるみだった。

冷水を頭から浴びせられた気分になった。
やばい、まさかこんないかにも黒みたいな物を発見してしまうなんて。
わたしはただ、コンドームだとかTENGAだとかAVだとかエロ本だとか、そういうくだらないものを見つけたかっただけなのに。

ブラウンを見つめながらわたしは悩んだ。
追究したい。
どういう経緯でこいつがベッド下に、わざわざご丁寧に毛布に包まれて隠すようにしまわれていたのか、心ゆくまで問い質したい。

けれど同時に、「このクマ見つけちゃったんだけど」と言えば、必然的に家宅捜索を白状する羽目になる。
第一彼は浮気をするようなタイプではないし…と悩んだのだが、夫が帰ってきてしばらくすると、猛烈な罪悪感と知りたい欲求に襲われて、首をたれながら部屋を漁ったこととクマを見つけてしまったことを報告した。

すると夫は苦笑しながら、「ああ、下の妹が送ってきたやつだよ。新しい彼氏ができたらしいんだけど、元カレにもらったものを捨てられなくて俺に送りつけてきた」とさらりと答えた(夫には妹が2人いる)。
あんまりにもさらりと答えたのと、妹さんの性格を考えるとあり得ない話ではないと思ったので、信じてしまった。
いや、信じようとした。

時は流れて3年後。
両家顔合わせも済み、結婚の話も本格的に進んで、ふいにあのベッド下のクマの存在を思い出した。
デートの帰りの地下鉄の中、当時住んでいた実家まで送ってもらっている途中に、「ねえ、そういえばあのLINEのクマ、どうするの?妹さんに返さなきゃじゃない?」と夫に訊いた。

すると夫の顔色が、さっと変わった。
表情は強張り、万引きが見つかった犯人さながら、目が泳いだ。
しばしの沈黙の後、「どっちの妹だっけ?」と夫は言った。

黒確定じゃないか。
いったいぜんたいどういうことだ、あんなでかいLINEのクマを唐突に送りつけられるというかなりの衝撃イベントの詳細を忘れるってことがあるのか、ていうかわたしに訊いちゃダメだろう。

その場では驚きすぎて何も言えなかったのだが、最寄駅で降りて家までの道すがら、おそるおそるわたしはiPhoneで「あのブラウン、ほんとのほんとに妹さんのものなの…?」とフリック入力してLINEを送った。
すると、「ごめん、本当は元カノにあげるはずのものだったんだ…」という返信がきて、わたしの目の前は真っ暗になった。

夫の話によると、元カノとは喧嘩別れで、あげるはずだったブラウンは「なんとなくぬいぐるみって捨てにくい」という思いで捨てそびれていたそうだ。
そして元カノと別れて1年足らずでわたしと付き合うことが決まり、それでもいつか捨てようとは思っていたのだが、わたしに発見されたことにより余計に捨てにくくなった、というのが夫の言い訳だった。

わたしは烈火の如く怒り狂った。
この類いの嘘自体は、もう仕方がない。
どちらかというと騙すためではなく、傷つけないためのものだし、嘘をつかざるを得ない状況だってあることはわたしにもわかる。
でも、わたしに見つかってもそのあとでそっと捨てて「妹に返した」とか言っておけばよかったじゃないか。
そこまで嘘を突き通してくれよ。
なにが悲しくて元カノへのプレゼントを3年間もしまい込んでいたんだよ。

そして「ぬいぐるみが捨てづらい」って、幼稚園生かよ。
ぬいぐるみなんてただのビーズがくっついた布と綿の塊じゃないか!
そんなブチ切れ長文LINEを夫に送りつけ、強制的にその翌朝にわたしたちを3年間あまり見守り続けたブラウンを捨てさせた。

結婚後もなお、ブラウンへの怨みは心の底にこびりついていた。
だって婚約するまで3年もの間、ベッドの下に元カノ関連のぬいぐるみがいただなんて、気持ち悪いしめちゃくちゃむかつく。
どうしたらこの腹立たしさを解消できるだろうかと考えていたが、ふと、「そうだ、わたしもクマを買ってもらえばいいんだ」と思いついた。
それもLINEのブラウンなんかよりもずっと高い、ちゃんとした老舗ブランドの高級テディベアを買ってもらおう。
そしたらこの怨みも成仏できる。

完全に怨念のみに衝き動かされ、わたしはInstagramでテディベアについて調べまくった。
よく知られているシュタイフ社のオーソドックスなザ・テディベアよりも、メリーソート社のチーキーという大きな耳が特徴のテディベアを気に入り、さっそく目黒の某テディベア専門店に向かった。
そこで購入したのがアイキャッチ画像のテディベアである。

2019年秋の直営店限定50体『チーキーゴールデンメイプル』、シリアルナンバーは12である。
ブラウンゴールドの巻き毛がかわいかったのと、つり目がちな顔つきが自分に似ている気がして(テディベアというのは同じ種類でも一体一体顔が違う)、親近感が湧いた。
購入後、複雑な顔をした夫から、代金の3万円をぶんどった。

そういうわけで、約3000円ほどと推測されるブラウンのおよそ10倍の値段のクマを、わたしは毎日小脇に抱えて寝ている。
モヘアの巻き毛は柔らかく、撫でていると気持ちがよい。いろんな意味で。

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