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【SEO】人は書き手の「心」が織り込まれた文章に心動かされる…と思う

今日は、私なりにSEOについて(今さら)気づいたことを書いてみたいと思う。

直近のエントリーに、「文章には書き手の思いや生き様がどうしても透けて見えてしまう」と書いた。

しかし、裏を返せばそのような文章には「心」がある。言い換えれば、文章に命が吹き込まれているともいえる。だからこそ面白い文章になる。そのような文章は、良きにつけ悪しきにつけ読んだ人の「心」に何らかの影響をもたらし、炎上も含めて大小さまざな反響があるものだ。

逆に、利用規約や取扱説明書に代表される「客観的な事実のみを並べた説明書」はどうだろう?おそらく多くの人が数行で眠くなるほどつまらないと感じるだろう。

もちろん、そのような100%情報のみという文章も必要だから存在している。例えば、取扱説明書に書き手の心が込められてれば、それはそれで面白いだろうが、それでは本来その文章がターゲットとしている「操作方法を知りたい」「利用する際のルールを知りたい」などのニーズからは大きく逸脱してしまう。だから、そのような文章は、自分がAI以前のロボットになったつもりで、一切の感情を排して事実を書く必要がある。

一方、「なにかを売りたい」「とにかく読んで欲しい」「社会を動かしたい」などの目的、特に営利目的で文章を書くならば、買ってくれる人、読んでくれる人、社会を動かす人などの心に訴えかける文章を書かねばならない。そのためには読者の「心」を揺さぶり、最終的に目的とするところまで興味を持って読んでもらう必要がある。それがいわゆる「SEO」の出発点だ。

そのような文章で問われるのが、文中のどこで読者の「心」を揺さぶるか?だ。

このnoteのようにごくプライベートな文章なら、勢いで自分の言いたいことを伝えればいい。別に、多くの人の心を揺さぶって利益につなげる必要はないのだから。

しかし、営利目的の文章を書くならそうはいかない。読者の興味が掲載媒体や広告等の利益と繋がる部分に「書き手の心」を織り込み、読者の心を利益の方向に揺さぶることが必要となる。

「人の心」を動かすのは同じ「人の心」だが、営利目的の文章を最後まで読ませる目的があるなら、ターゲットとなる読者の「心」をどこで揺さぶればいいかというところまで考えなければならない。でないと、どんなに素晴らしい文章を書こうが読者は最後まで読んではくれず、利益にもつながらない。

実は、そのことに気づいたのは、お恥ずかしながらつい最近のこと。3年もこの仕事をやっていながら、今になってようやく商業ライターとしてのスタート地点に立てたかな?という感じなのはどうかと思うが、まあ、もともとが凡人でたいした才能もない私だから仕方がない。3年でそのことに気づけただけでも儲けものだ。

しかし、それに気づいてからはかなり記事を書くのが楽になった。それに、アクセス数を集めることも上手になったような気がする。今後もこんな感じでぼんやりと仕事をしていくだろうが、まあ、ある程度経験を積めばもう少しましな商業ライターになれるんじゃないかと思っている(笑)。

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