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ライターになってからの6年間は心折れることの連続だった

子どもの自立を機にライターを始めたのは50歳を目前とした2015年。この秋で商業媒体で仕事を始めてから6年の月日が経った。

元銀行員の経歴が思いがけず役に立ったとはいえ、ここまでの道は決して平たんではなかった。

今回はその経過報告として心折れることの連続だった6年間のできごとを馬鹿みたいに延々と並べていきたい。(興味がない人はここでターンしてね)

「若さがない、職歴が少ない、健康ではない」私が初めて手掛けたのは搾取案件

「若さがない、職歴が少ない、健康ではない」

そんな「3ない」からのスタートで初めて手掛けたライターの仕事は、1件あたりの報酬が子どもの小遣いにも満たない搾取案件だった。

その直前からやっていた某放送局モニター謝礼の100分の1くらいの報酬にはさすがに笑ってしまったが、その時点で心が折れることはなかった。「3ない状態の私などにまともなオファーが来るはずもない」と納得していたからだ。

今思えばそんなに自分を卑下する必要もなかったとは思うが、長く仕事から遠ざかっていたこともあり、その点においては自己肯定感がほぼゼロになっていたので仕方がない。

私の心を根元から折った2016年の「WELQ騒動」

その後も1年以上搾取案件を続けていた私の心を根元から折る大事件が2016年の終わりに起こった。

医療界から批判が出て社会を揺るがす大きな事態となった「WELQ騒動」が勃発したのだ。

当時はWELQ運営会社であったD社の他にも「キュレーションサイト」とよばれるライター搾取メディアを運営している会社が多数あり、私は他社のキュレーションサイトで医療のイもないジャンルの記事を低単価で書いていた。

しかし、WELQ事件でそのようなメディアの存在自体が問題視されて次々とメディアが閉鎖、それまで私が受けていた案件もすべて消滅してしまった。

その時初めて自分が請けてきた仕事がなんの価値もないものだと気づいてしまった。

そして1年以上自分はなにをやっていたのだろう?人生の選択を間違えてしまった。最低賃金のパートを始めた方がましだったじゃないか……と激しく後悔して心が折れてしまった。

パートの面接直前に元銀行員の経歴を見たクライアントからオファーが来た

それを機に私はライターを辞めるためにパートの仕事を探し始めた。

ブランクや持病のこともあって中々職探しに難航したが、いくつか履歴書を出した中でようやく短時間パートの募集を行っている1社の面接にこぎつけた。

これもまたいわゆる「搾取案件」だったので「自分の市場価値低すぎ」と気づいて心が折れた。

しかし、この年で面接してもらえるだけでもありがたい、採用されれば毎月わずかでも一定額を稼げるからラッキーだと思い直すことにした。

ところが、その直後にライターとしての大きな転機が訪れた。

クラウドソーシングのプロフィール欄で元銀行員の経歴を見たあるクライアントが、現在私が受けている仕事とそう変わらない単価で仕事を依頼したいと連絡してきたのだ。

テストライティングの報酬も本採用時と同じで、継続になれば面接予定だったパート先と同等の手取り月収が得られることがわかった。

そこで私は無謀にもパートの面接をキャンセルし、その案件のテストライティングに臨んだ。

その結果無事に継続となり、それから約1年面接予定だった短時間パートとほぼ同じ報酬を安定的に受け取ることができた。

担当者が変わってクライアントとの関係が急激に悪化

最初は良好だったそのクライアントとの関係が悪化したのはそこで仕事を始めてから1年が過ぎたころだ。

秘密保持の関係からその詳細は避けるが、どうしても看過できないきわどい内容の記事を書くように求められた時に即断ったのが悪かったのかもしれない。

それを機に先方から度重なる嫌がらせを受けるようになり、最後は突然ひどい形で切られた。

こちらは下請けの個人事業主という弱い立場なので、そのような事態は事前に想定している。だから切られたこと自体は仕方ないと割り切れた。

ただ、あまりにもぞんざいな対応が非常に腹が立ったのもまた事実だ。

また、その1件で自分の立場の弱さや実績のなさを痛感したので、また心が折れた

運よくよい仕事に巡り合えたが心折れそうな場面は何度もあった

しかし私は実に運がよかった。

私がクライアントに切られたことを知るや否や、仕事を紹介してくれたクラウドソーシング会社の関係者が同条件の別の案件を私に紹介してくれたのだ。

また、同じ時期に応募してライター採用された大手メディアの仕事や、ライター登録した編プロ経由で来たオウンドメディアやLPサイトなどの仕事が軌道に乗り始めて今に至る。

ただ、その間にも心折れる場面は数えきれないほどあった。

ライターになって初めて「報酬の低さ」で心が折れた地方の案件

中でも一番心折れたのが、地方の会社から依頼された仕事を請け負った時だった。

その会社の対応自体は決して悪くなかった。担当者の物腰も非常に丁寧でフィードバックも的確だったと思う。その点については今もまったく不満はない。

しかし、いかんせんそこの報酬は低すぎた。

クラウドソーシングの搾取案件に比べればかなり良心的だったが、その当時私が請けていた仕事の平均報酬の半分以下で驚いた。

さすがにそれはないだろうと思ったが、私は一度引き受けた仕事を途中で投げ出すことをよしとしない。とりあえず半年の契約期間が終わるまでは思い、ストレスが最大限に達する中3ヶ月ほど頑張ってその案件を続けた。

しかしその結果何度も繰り返すタイプの難聴を発症し、そこでまた心が折れてしまった。

そのことをきっかけに、ようやくその案件を降りる決心がついた。

今思えばおそらく予算が取れない会社だったのかもしれない。あるいは特筆すべき実績や資格がないことで足元を見られた可能性もある。

それがわかっていれば早々に辞めていたが、当時はそのことに気づかなかった。あまりの鈍さに我ながら呆れてしまうが、その点について学習できただけでもよしとしよう。

また、案件を請ける前に会社の規模や経営状態をよく調べ、各プロジェクトに十分な予算を取れる会社であるかどうかを判断する目も養えたのは確かだ。

だから、当時の経験は今の自分にプラスになったと考えることにした。

仕事が軌道に乗ってからはさらに心折れることの連続

そのような紆余曲折を経て、現在は複数の会社から継続的に仕事を受けている。

何年も長く続いている案件もあれば入れ代わり立ち代わりエンドクライアントが変わる案件もあるが、どの案件も良心的な報酬で仕事の内容も悪くない。

しかしそうなったらそうなったで、これまでとは違う意味で心折れる出来事が次々と起こることが判明した。

中でも一番堪えるのが、書けば書くほど自分の弱点が次々と露見することだ。

企画力・構成力・文章作成力・編集力、SEOの知識など基本的なことはかなり改善されてきたが、プロを名乗れるほど優れているとは到底思えない。

幸いにも、過去の執筆記事には多くの人に読まれて現在も検索上位の常連になっている記事もある。しかし、常にそのような良記事を生み出せるわけではなく、読まれない記事は徹底的に読まれていないことを知るたびに心が折れている。

また、同じころにライターを始めた人がどんどんステップアップしていくのを横目に見ながら、たいして状況が変わっていない自分が情けなくて心が折れそうになる。

生き馬の目を抜くこの業界ではいつ切られてもおかしくない。長くライターを続けたいなら老骨に鞭打って上をめざすしかなことはわかっているが、そう考えると気が遠くなりそうでまた心が折れてしまう。

また、業務上さらに上の資格を取る必要があることもわかっているが、合格に必要な知識が一向に頭に入っていかない。それもまた心が折れやすい要因となっていることは言うまでもない。

それを考えると、人生も後半になってからとんでもない苦界に足を踏み入れた感が強くなってきた……ような気がするが、せっかく6年も続いたのだからもう少し、あと4年ほど頑張ってみよう。

その間に何回心が折れるか怖いような楽しみなような気がしてきたのは、たぶん私がマゾだからだ。


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