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「何も悩みがなさそう」と平気で他人に言う人間ほどたいした苦労をしていない

昔から「あなた、なにも悩みがなさそう」と他人によく言われる。

「苦労知らずでいいわねえ」と私に言う人も結構いる。

一体何をもってそう思うのかよく理解できないが、まあ、はたから見ればそんな風に見えるのだろう。そんなに優雅に生きているように見えるなら、実に結構な話だ。

けれども、本当に悩みがない人なんているわけがない。家庭を持ち、子供を育て、なおかつ働いた経験が少しでもあれば、その人なりの苦労があって当たり前だ。そんな簡単な事もわからないとはなんというおバカさんなのだろう、とも思うのだ。

確かに、現在の私は子育ても終わり、人生で初めてゆったりとした気分で日々の生活を送っている。だから今の私を見てそう思う人がいてもおかしくはないかもしれない。しかし、そんな穏やかな日々がようやく訪れたのはつい最近の事だ。

小学生の時この地に引っ越してから中学までは一家そろってよそ者扱いされ、中々壮絶ないじめを受け続けた。高校から就職するまでの期間は比較的穏やかだったが、就職したとたんにまた地獄が待っていた。

毎晩終電を逃すか逃さないかの瀬戸際の時間まで、誰もいなくなったオフィスでセクハラ上司のいやらしい視線にさらされながら2人きりで仕事をし、帰りはセクハラ上司と同じ電車で、座席で体を密着された状態で耐えながら、家の最寄り駅(それまで上司と同じだった)まで揺られる毎日だった。

また、それとなくデートの誘いも受けたが、「まさか違うよね」という、実におめでたい勘違いから、我ながら結構ナイスな切り返しで断り続けていたら、次に配属された部署の上司に「お前一体前の部署でどんな不祥事を起こしたんだ?」と言われるほど根も葉もない中傷が申し送りに書いてあったと聞いた。当然査定も社内最低ランクでつけられていた。そう、知らないうちに報復を受けていたのだ。道理で同期よりずっと給料が低かったはずだ。

のちに私から仔細を訊いたその上司が本社にその嫌がらせについて報告し、前の部署のセクハラ上司が閑職に追い込まれたことが不幸中の幸いだった。

当時は幸か不幸かセクハラと言う概念がなかったので、疑問を持ちつつそんなものかと思っていたが、今思えば、当時の私はまさに#MeeTooのハッシュタグが似合う、常に崖っぷちを歩くようなスリリングな毎日を過ごしていたのだ。

また、結婚前に夫の実家に挨拶に行った時に出された「見た目リンゴジュース」をひと口含んだら、実は「穀物酢」だったというとんでもない経験もあった。それが結婚後長期にわたる壮絶な嫁姑バトルのゴングが鳴った瞬間となったことは言うまでもなく、関係が修復された今でも当然わだかまりは残っている。

結婚後社宅に入ってからは、プライバシーにずかずか踏み込む上司や同僚の奥さんが夜遅くまで我が家に居座り、切迫流産にもかかわらず先輩社員の奥さんが留守の間、赤ちゃんのおもりをさせられたことも一度や二度ではない

PTAでは人の好さを理由に何でも押し付けられ、周囲にヘルプを頼むと「好きで引き受けたんでしょ!」と逆切れされるような日々だった。

おまけに夫はつい最近まで自分のことで精いっぱいでまったく頼れず、かといって親元から遠く離れた土地では他に頼るアテもなく、「あー、もう一人で頑張るしかないじゃん!」と腹をくくるしかなかった。

そういう目に遭うたびに、私は前世で一体どんな悪行を重ねてきたのだろう? と思ったものだ。

もちろん、もっとひどい境遇にいる人のことを考えれば、私が経験したこれらの事柄なんて屁でもない。そんな苦労話は履いて捨てるほどあるレベルでしかない。しかし、ようやく穏やかに日々を過ごせるようになった今になって極力客観的に振り返ると、普通に考えてもいじめやセクハラは中々ヘビーな経験じゃないの? とは思うけど。

でも、今さらそんな苦労話を深刻にしたところで過ぎた日々は戻らないのだし、人の不幸は蜜の味とばかりに他人が悩み苦しむ姿を見て楽しむ下衆な輩にそんな話などしたくはないというのが本音だ。

だから、一見「なんの悩みもなさそうな涼しい顔」をしているんですけど。ねえ。きっとそこまで見抜けない底の浅い人が多いのだろう。(冷笑)

一方、他人に向かって「何の悩みもなさそう」と言う人の「苦労話」など全く関心が持てない。だって大した苦労じゃないでしょ。それ。といった感じの話が多いのだもの。

長年色々な人と接していてわかるのは、本当に舐めるような苦労をした人ほど安易に自分の不幸自慢をしないということだ。もし、それを言ってしまえばかなり深刻な内容になり、そのあまりの重さに相手が引いてしまうことがわかっているからだ。

それに、苦労を乗り越えてきた人は他人の心を推し量れるから、そんな無神経なことを言う事はまずない。そういう心無いことを言う人間は、そのほとんどが自分のことしか考えていない身勝手な人間であり、なおかつ大した苦労もしていないからこそ簡単に「苦労話」ができるのだと思う。

まあ、そんなわけで、長く生きていれば誰でもそれなりに苦労をしているのだから、どんなに能天気そうに見えても「悩みがなさそう」なんてことは言わないに限る。でないと言った本人が相手に軽蔑されるだけだ。

画像:ぱくたそ

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