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親子の軋轢

「しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになっていきました。
やれと命じられたことを、嫌々ながら、面白くなさそうに、ふくれっつらでやります。
そして、自分たちの好きなようにしていいと言われると、今度は何をしたらいいのか全然わからないのです。
たった一つだけ、子どもたちがまだやれたことといえば、騒ぐことでした。
でもそれは勿論、ほがらかにはしゃぐのではなく、腹立ちまぎれの、とげとげしい騒ぎでした。」

〜「モモ」 ミヒャエル・エンデ より

どこにでも、どんな時代でも、ものすごくよくある光景だろう…
こういうことが、膨れ上がると恐ろしい事件などに繋がっていく。

17世紀末、アメリカのセイラムで起きた「魔女裁判」。多くの無実の人間を処刑させた少女、アビゲイル・ウイリアムズたちからも、ゾッとするほどこれが感じられる。
アビゲイルからしたら、賢くお上品で、殊勝で立派な聖人ほど鼻につき、そういう人間たちを、自分の一言で思い通りに惨殺していけるのが、面白くて面白くて堪らなかったんだろうと思う。

何気ない日頃の鬱屈を、蓄積させないことは、本当に大事なこと。
でも、一つ一つが小さいだけに、なかなか自分で気付けないのが怖い。

「子育てで一人の時間がなく、ストレス…子どもがいるせいであれができない、これもできない」

確かにそういうことはあるだろう。でも、子どもがいるからこそ、できることも多くある。

今を逃したら二度と戻らない大切な大切な時期。
なぜ子どもと一緒に幸せに過ごすことを第一優先に考えないのか?

ストレスだストレスだが多い親は、「子どものせいで親の自分は苦労している、我慢を強いられる。だからこんな親の自分は偉い、感謝されるべきだ」とのアピールの目的がある。

それ、子どもは嬉しいか?

自分の存在は親を苦しめる悪いもの

苦労かけた分、恩返ししなければならないのか

子どもには重い鎖を背負うような恩‥

こういう親はとにかく子どもを早く離そう離そうとし、少しでも早く大きくなって手がかからなくなることを望む。

そして、こうして子どもを早く離そう離そうとしてきた親ほど、子どもが大きくなり、親元を離れることになると、今度は自分は一人になってしまうと慌て、心配だ心配だとしがみつき、ストレスだと嘆く例が多い。

そして子どもに、結婚はまだか、孫はまだかと、ストレスは延々と続く…

振り回されるほうはたまったものじゃない!

この果てしない愚かさを解決するには、育児に限ったことじゃないけど「今できること」と「今できないこと」をいつも考えて書き出していくことだと思う。

今できることを一つでも多く楽しんで、今できないことは、それができるチャンスを逃さないようにする。

そうすると、「はやく!はやく!」ではなく、今をゆっくりと楽しめるようになるから、満足感が高く、後悔が少なくなる。

子どもをたくさんたくさん愛して、楽しく過ごしてきた実感があるから、「なんであんなどうでもいいことで怒ってばかりいたんだろう」など、自己嫌悪に苛まれることは少なく、いよいよ子どもが親元を離れれば、頼もしく、成長を喜べるし、子どもが元気なら、どこにいても幸せで、自分の時間を充実させることができる。


自分の母親は間違いなく毒親だと言った人がいた。その人の父親は早くに亡くなっている。

しかし、毒親に依存してしまうと、毒親が死ぬとなったら、途端にそれは「天使」に変わるんだな、と思ったことがある。

「自分の親は毒親だから、そのせいで自分はこんなにも駄目な人間なんだ、あんな毒親がいるせいで支配され、この自分の人生ほどの不幸はない。自分以外の誰かになりたい。どこにでもいる普通の、この目に写る全ての、誰か自分以外の人間。それに代われれば、不幸じゃないのに」

その人はよくそんなことを言っていた。その人の老いた母親が癌になって、いよいよ末期で緩和病棟に入院するとなった時、あれほど「あんな毒親さえいなければ」と言っていた人が、「死ぬなんていくらなんでも早過ぎる!どうして自分は親を大事にしてこなかったんだ!親さえ生きていればいいのに、親がもう死ぬことになったから、自分はとんでもない不幸だ!」と、自分の苦しみは親がもう死ぬせいだと大騒ぎした。

間もなく母親は亡くなり、「親がいなくなったせいで、もう何もどうしようもできない。だから自分にはもう最悪の不幸しかない」と言っていた。

暇さえあれば緩和病棟に親の見舞いに来て、癌に甘い物は毒だとネットにあったと言って、母親からお菓子を全部取り上げ、15万もするiphoneをガン末期の母親に買い与えて、これで遊べと言い、回復を必死で祈っていたのに、親を亡くして意気消沈したこの息子に、病棟スタッフは、慰めの言葉をかけたが、彼の内心は「心停止に対してなぜすぐに電気ショックや、切開して直接心臓を掴んで延命しなかったんだ」と病院に不満をつのらせて後悔を抱えていた。
ここは緩和病棟だってのに。。

「母親もオムツでしたが、この病院は他にもオムツをしてる人が多くいるので、いつもうっすら異臭がして、とても衛生的にいい環境とは言えないです。やっぱり、こんなところにするべきじゃなかった」と言っていた。
老人のオムツ交換があって、「うっすら異臭」程度で済んでいるのはすごいことだと思うが。

そもそも、その人の兄弟が親を緩和病棟に入れる時、「そんなことせずに自宅療養にするべきだ」と反対して、「じゃあお前が排泄や入浴の世話をするんだな?」と聞かれると、その人は「そんなことできるわけない」と即答して、鼻で笑われたそうだ。そりゃそうだ。
言ってることが、ほんと非現実的。。

何も知らない人から傍目に見れば、なんと親思いで親孝行な息子と、苦痛少なく穏やかに亡くなった年老いた母親に見えたに違いない。
ほんとのところは、わからないもんだな、と思った。

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