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『短歌往来』2023年9月号

①吉田裕子「和歌と短歌の世界をつなぐ」
〈塾の授業で高校生に解説するときには「『をかし』はSNSの『いいね』だよ」と説明している。〉
〈この「あはれ」、現代語に訳すのは難しいが、しばしば「エモい」が近いのではないかと言われる。〉
 分かりやすいな。
〈「シンパシー」は「同感」と訳され、相手の感情に共鳴し、思わず湧き上がる感情の動きをいう。自分の経験や価値観から、自然と相手の気持ちが分かる感じである。一方の「エンパシー」は「共感」で、相手の立場に立って、その意思や感情を理解することで、相手が感じたり考えたりしたことを共に感じるという、ある程度、能動的な行為である。〉
 これも分かりやすい。そして短歌を読むのに必要なのは共感、という論に続く。和歌の心を現代に引き付けて理解する補助線になる評論で、なるほどと思うところが多かった。

②「特集 全国歌碑めぐり」
 去年京都に、今年熊本に河野裕子歌碑ができたので自分の興味的にもいいタイミング。以前、歌碑や句碑がずらっと並んでいる所に観光で行って、紙もデータも無くなった世界では碑でしか歌が残らないのでは、とSF的空想を巡らせたことがある。

③吉川宏志「河野裕子歌碑」
われを呼ぶうら若きこゑよ喉ぼとけ桃の核ほどひかりてゐたる
〈多くの場合、その地に行くと歌人が見たのと同じ風景を眺めることができる。(…)もうこの世にはいない人の眼を意識しながら、歌の風景を見ること。それは時間を超えて歌の言葉に触れる体験であるような気がする。(…)歌人を偲ぶ場所をあるのは嬉しいことだ。歌碑を建てることは、〈歌枕〉という思想と深くつながっているように思われる。〉
 法然院の河野裕子歌碑を去年の全国大会の後で訪れた時から、もう一年が経ってしまった。

④前田宏「前田透歌碑」
わが愛するものに語らん樫の木に日が当り視よ、冬すでに過ぐ
〈透がこの歌を詠んだ時は、玄関を出ると目の前に枝葉を広げた樫の木々がそびえていた。透が家族との絆を心に刻み、この世の生の苦しさの涯に永遠の光を展望する境地に立った歌として、私たち家族はこの歌を読んでいた。〉
 大好きな歌人、前田透。前の評論集を書くときには、かなり前田透の歌を読んでいた。散文もとても巧みで、『チモール記』等本当に面白く読んだ。前田の生涯って映画化されてもいいと思うぐらいだ。

⑤藤島秀憲「山崎方代歌碑」
手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る
〈それにしても歌碑に刻まれた歌は不思議です。てのひらの上に豆腐をのせて帰るだなんて。たぶん鍋の用意がなかったのでしょう。普通ならば買うのを諦めるのに、諦めない。きっと家で美味しい酒が待っている。ならばなんとしても豆腐を買って帰らねばなりません。両手を使い、包み込むように豆腐をやさしく扱う方代さん。〉
 山崎方代も大好き。私の中で前田透と山崎方代はセット。同じチモールでの、全く異なる戦争体験でのセットだ。方代短歌の裏の面。

⑥大下一真「吉野秀雄歌碑」
死をいとひ生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ
〈制作は昭和39年(1964)の春の頃と推測されるが、当時の吉野秀雄は糖尿病にリューマチ、心臓発作等を抱え、終日病臥の状態の中から生まれた、言わば絶唱だった。〉
 教科書で吉野秀雄の短歌を読んだのが、短歌に興味を持った始めだったかもしれない。
 今回、一時没頭して読んだ歌人の歌碑の話を読めてうれしかった。近現代歌人は取り上げられる人が偏っている。前田透、山崎方代(最近、本が出た)、吉野秀雄はもっと読まれて欲しい歌人だ。

2023.9.11.~12. Twitterより編集再掲


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