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『短歌研究』2021年4月号(1)

またしてもマフラーを買ってしまいたりなにがそんなに不安か首は 遠藤由季 首が出ていると冬場は寒い、そしてどこか不安。その気持ちを埋めるように、ついマフラーを買う。今までのは不安を消してくれなかったが、新しいマフラーなら、と。不安は消えることは無いのだが。

流砂めく言葉の国を生き延びておまえは誰の傘下だろうね 辻聡之 言葉が言い換えられ、脱臼させられ、ごまかされていく。それを流砂に喩えた。「おまえ」は主体が自分に言っていると取った。そのつもりは無くても、生き延びているだけで、何かに加担しているのかも知れない。

このまま生き続けてあなたに嫌われるそのときの秋の盛りの枝よ 堂園昌彦 生き続け、今と何も変わらない姿を見せて、あなたに嫌われる。もう既定のように言い切って、その時の背景まで想像している。六八五八七。切れ目なく続く初句と二句が主体の生き方を表現している。

御嶽(うたき)には鳥居の建ちて日本人になるため上りけんこの道を 屋良健一郎 沖縄の信仰の場である御嶽に神道の鳥居を建てた日本人。その無神経を糾弾せず、「日本人」になるために、この道を上って鳥居を拝んだであろう先人たち。歴史の複雑な背景に思いを寄せる主体。三句六音の間延び感が効果的だと思った。とても印象に残る一連だった。現代と歴史を見渡す考察が深い。

天を仰いで水を飲むときあらわれる喉、その断崖がはるかに遠い 飯田彩乃 子を詠った一連だが、この喉はかなり大きい印象。主体の配偶者のものではないか。いつもは服の内側に隠れている喉が水を飲むとき見える。遠い断崖として。今は子に時間や気持ちを取られ手が届かないのだ。

顔と名のわかるひとをさう粗略にはあつかへず紙コップつやつや 寺井龍哉 本音というところだろうか。本当はどうでもいいのだが、知り合いなので形式上大事にする。これは裏返せば顔も名も知らぬ人は粗略にしているということでもある。少し露悪的。「つやつや」が反語的で魅力。

2021.4.28.~29.Twitterより編集再掲