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『短歌往来』2022年6月号

①谷岡亜紀「今月の視点」〈才気に溢れる切れ味の良い評言が、作品そのものを「追い越して」しまっているのではないか。(…)鋭い問題意識を持ち意欲的に探求する優れた「書き手」に、時にそうした傾向があると感じる。〉それはある。確かにある。過大評価じゃないかと思ったり、自分がこうあって欲しいという理論を目の前の作品に当て嵌めたり、その作者の方向性を狭めるような評に結果的になったり。
 谷岡の論の後半は、前半の自分の論を振り返りつつ、過去の短歌史に触れている。経験に基づいた問題提起だ。

②田中教子「短歌と俳句」
松の葉の葉ごとに結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く 子規〈子規の露は、見慣れた光景を理科的に即物観察したような危うさがあり、平凡に感じられる。〉これって、そうだっただろうか。旧派和歌では松の露は扱わない素材で、そこに目を付けたのが新しかったのだ、と記憶している。当時は平凡とは真逆だったのではなかったか。

③「前川佐美雄賞・ながらみ書房出版賞発表」

 川本千栄第四歌集『森へ行った日』でながらみ書房出版賞をいただきました。受賞の言葉と自選25首、選考委員各氏の選評をいただきました。佐佐木幸綱様・三枝昻之様・佐々木幹郎様・俵万智様・加藤治郎様並びにながらみ書房様に感謝いたします。

④恩田英明「玉城徹を読む」〈徹の乗り越えるべき第一の相手は(…)「対象模倣的方法」、いわゆる写実的な日常詠の方法の否定だった。〉〈「抽象的思考─言葉をかえていえば、一の「美」への祈願─は、つねに、自己の抹消の企図をふくむのである。」〉最近、他誌でも気になった。
 なぜ気になるかやっと分かったのだが、私には玉城徹の歌がかなり「写実寄り」に見えるのだ。写実の基調の中に、一部抽象が入るような。まあ、たくさん読んでないから、今はそう思う、というレベルだが。
かぎりない世界の一部夕空に黒くもつれ合ふ枝が芽をふいて 玉城徹

2022.6.15.Twitterより編集再掲