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『短歌研究』2022年4月号(1)

①「対論 短歌は持続可能か」
斉藤斎藤〈若いひとがこれから何か作品をつくろうとするとき、作品をどうマネタイズするか、ということはあらかじめ視野に入っていると思うし、それは短歌も例外ではなくなってくると思うんですね。〉確かに才能があって良い作品を作っていても、その才能に見合っただけの評価が得られるとは限らない。自分をどう見せて、どうプロデュースしていくかが求められるということか。それってでも物凄く厳しい世界じゃないかな。本当に「若いひと」みんなそれを視野に入れてるのだろうか。全員が米津玄師みたいに行く訳じゃ無いしなあ。

②「対談」斉藤斎藤〈もう一つ言うと、若い人たちは、SNSもそうですが、我々世代と比べると圧倒的に過去のコンテンツが手に入れやすくなっている。電子書籍の読み放題のKindleアンリミティッドとか、(…)〉で、そのコンテンツから漏れているのが歌集歌書。
 国会図書館のデジタルコレクションとか素晴らしいし、青空文庫もどれだけお世話になったか分からない。けれどそれは古典になったものだけ。現代の(戦後ぐらいから、か?)歌集や歌書はデジタルで見られない。古書か図書館しか方法は無い。デジタル図書館が整備されて欲しい。
斉藤斎藤〈コンテンツが大量に手に入って、いいものをたくさん見れちゃいますから。摂取する情報量が多いと、どうしても先行作品の享受がパターン認識みたいになると思うんです。〉古典と現代のネット世代の作品は見れるけど、その中間が抜けているのではないだろうか。先行作品はいつ頃の作品かな?

③「対談」坂井修一〈どうして雑誌に載るのに金を払うのかというと、格付の問題なんですよね。「ネイチャー」で論文が掲載されると世界中の人が読んでくれる。(…)その出版社の、きっちり価値のあるものを見抜く力が信頼されて、学会の人たちよりも出版社のほうが、その力を信用されている構図があるからです。(…)権威あるものを作ってランクづけして自分がそのトップに立って、ここで発表してやるんだから金を払えという仕組みを作った。〉学会の論文の発表形態に関する専門家からの話。とても生々しい。
 坂井は、これは学会の話だが、短歌の出版社もそういう方向があるのでは、と例に挙げている。斉藤が〈そういう権威づけが、本来の総合誌の機能だった〉と応じているのも面白い。

④「対談」斉藤斎藤〈そういう権威づけが、本来の総合誌の機能だったわけですよね。(…)新人賞は最大の権威づけのシステムだったわけですけど、それが効かなくなっている。〉本来の機能と呼ぶと身も蓋も無いが、一定の真実はある。学会の権威づけのようなものがあった、と。
 〈五十音順掲載(…)ジェンダーや年齢で区別しないという編集方針は、社会の流れに沿っているかもしれない。でも本来やるべき、権威づけ格付けをする雑誌の機能からしたら、年齢とか性別とか関係なくよい作品を頭や後ろに据えて(…)〉五十音順掲載を強調している『短歌研究』誌上での発言。
 発言する斉藤もすごいが、それを載せてしまう『短歌研究』も腹は太いわ。本当に五十音順でいいの?と思ってる人は一定数いるだろうけど、時代の流れだからって、誰も言えなかったんだと思う。私は、権威づけという発想は無かったが、年代順の方が、作品の雰囲気が似ていて読むのは楽と思っていた。

⑤「対談」斉藤斎藤〈生きるということを短歌の核に据えるとしたら、年功序列はアリじゃね、と私は思ってしまう。人生の先輩は尊敬しとこうぜと。(…)年齢によってなんだか格が上がることは、そんなに悪いことでもない。〉驚愕。斉藤斎藤がそんな発言するなんて。
 もちろん、いい悪いを言ってるわけじゃなくて、私の持ってるイメージと違う気がして。年功序列かあ。反対概念は実力?実力って何なの、賞を取る事、売れる事?と考えると対談の最初の方に考えが戻っていく。
 この後も面白い話が続く。刺激的な対談だった。

浪の下にも都が、というしずかな声。夜更けの貝は口つぐみつつ 鈴木加成太 安徳天皇に入水を勧める声。安徳天皇がそれをどう思ったかは分からないが、この声は、死を願う人の心に現代でも響いてくるのではないか。無言の貝の存在が怖い。

踏みしだくやうに照る月 いちめんにつばきの首の落ちたる道を 田口綾子 椿の散る風景を凄惨に描いた一連。初句二句の月光の比喩がいいと思った。一面に椿の散る様子を初春に何度も見たが、全部昼間だったので、あれが月光下だったらと、この歌を読んで思いを巡らせた。

2022.5.8.~11.Twitterより編集再掲