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あの時の父の痛みが今ならわかる

母より10歳くらい年上だった父は大正生まれ。生きていれば100歳くらいになる。


子供の頃週末は寝てばかりの父

小学生の頃日曜日になると父は一日中寝ていたり、寝ながらテレビの時代劇を見ていた。

つまんないの、
どこにも行かないし、遊んでもくれない。

幼心にそう感じていた。

父は結核だったと聞いた


保育園通っていた頃だった、父は入院をして手術をしてしばらく居なかった。

その当時の結核だから肺を大きく切除して、隔離されて病院へ行けども
会ったりせずに病院の庭で遊んでいた記憶がある。

お風呂に入ると背中の傷が怖かった


たまに父と近くの銭湯に行った。父と行くとコーヒー牛乳が飲める。母との時は飲めなかった。



ただ父の背中の傷を見るのが怖かった。刀でえぐり取られているみたいに大きく深く、もう痛そうな見てはならないものでした。

今ならわかる、手術の後は痛むこと


父ほどの傷ではないが、卵巣嚢腫も
鎖骨粉砕骨折も、乳がん、胆嚢摘出と書き出せばいろいろと手術をしてしまった身。痛みと不安の付き合いは始まっている。


今だに、ふだんは我慢できないほどではなくても不快な感じは常にある。気象によっては痛むから早寝もする。


父の頃の会社員はまだ日曜くらいしか休みがなかったように思う。土曜日が半ドンだったかもしれないけれど。


あれだけの手術だったら、1週間働いたらへとへとで寝てもいたい、休養したいよねとうなずける。


今は母が痛い痛いと口にすることが多く、耳障りな時もある。


きっと母くらいの年齢になったら今の私の痛みよりさらに痛くて大変だったのだろうとわかる時がくるようになりそう。

ケガや病気や手術のない体でどこまでいれるのかが高齢化社会の優等生だ。

どこも痛くない体って貴重です。

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