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陣痛が痛くない!?超安産の出産記録

2013年2月、ムスメを産んだ。
怖れていた陣痛は、ちっとも痛くなかった――。

そんなわたしの、出産レポートです。

地震にびびってジョロッと破水

2013年2月1日、午前一時ごろ。
トイレで用を足していると、ぐらりと揺れた。地震だった。
驚いて立ち上がろうと前かがみになったところ、ジョロッと尿が漏れたような感覚があった。
このころのわたしといえば大きくなった腹に押されてたびたび尿漏れを起こしていたので「びっくりしておなかに力入れちゃったかな」なんて思っていた。
しかし、ジョロッと出た尿らしきものはそのまま止まらず、わずかだが流れ続けているような感覚があった。

もしかして、これが破水?

羊水は透明でわずかに生臭いと聞いたことがあったので、そっとペーパーで股間をぬぐって嗅いでみる。わからない。
とりあえず生理用のナプキンをあてがってトイレを出た。
それから、夫が仕事から帰宅。破水したかもしれない、と伝える。
続いて産院に連絡をすると「すぐに来てください」というので、登録していた陣痛タクシーを呼んだ。
そのあいだも股間からは生ぬるい液体が少しずつ滲みつづけている。

その日の夕飯はコトコト煮込んだ自信作のスペアリブ。
夫を待ってすっかり空腹だったわたしは、立ったまま肉にかじりついた。
「座って食べなよ」と笑う夫。
「だってたくさん破水したら掃除大変じゃない」と股間にバスタオルを挟みながら肉をかじる妻
お産前だというのになんとも緊張感のない、シュールな光景である。

タクシーが到着して産院へ。
飲み物を買いたいのでコンビニに寄りたいと夫にねだって「買ってきてやるからそれはやめてくれ」と言われたのを覚えている。
そのころのわたしの頭のなかは「出産って長丁場らしいし飲んだり食べたりするならいまのうち……」だった。
だって、腹が減っては戦はできないっていうじゃない。


産院について漏れている液体について検査してもらうと、やはり破水だったようでそのまま入院することに。
二人部屋の陣痛室に案内されると、カーテンの向こうには先客がいて、唸り声をあげていた。
破れたところからバイキンが入るといけないので、抗生物質の内服薬が出た。子宮口はちっとも開いておらず、今日中に生まれる可能性はとても低いこと、二日様子を見て進まなかったら促進剤を使わなければいけないことなどの説明を受けた。
なにか質問はありますか、と聞かれて「いまからの入院で朝食は出ますか」と尋ねたら笑われた。
だってこの産院のご飯は美味しいんだもの。
夫はコンビニでわたしの飲み物を買ってくると、さっさと家に帰った。薄情なやつめ。

陣痛がわからないままお産が進む

午前二時ごろ。
暇で暇で、朝までひたすらマインスイーパ(ゲーム)をしていた。
子宮口の開き具合を確認するため、定期的に助産師が股間に手を突っ込みにやってくる。
「陣痛がきているからもしかすると今日中に出てくるかも」と言われるも、当のわたしはまったく痛みを感じなかった。
痛みの程度で言うならば、生理痛のほうがよっぽど痛い。

陣痛の波を可視化するモニターを見ると、陣痛が来ているときだけおなかがぷくっと膨らむ。
思い切り息を吸い込んだときのように、おなかがみるみると膨らんでは、しおれていく。
言われてみれば確かに等間隔で訪れているのでどうやらこれが陣痛らしいのだけれど、モニターを見ないと気づけない程度の変化しか感じられなかった。
「あの、ぜんぜん痛くないんですけれど」と助産師に言うと、「痛くない程度の陣痛では産まれないからまだまだね」と返された。

午前七時。朝食のトーストセットをぺろりと完食。
食事を写真に撮る余裕っぷりである。
食べ終えたころ、夫が陣痛室に顔を出した。
「よく眠れた?」と聞いたら「ぐっすり」と答えたので、夫も能天気である。


ちなみにこれが産院メシ。もうここに住んでしまいたい。

誰か、わたしのオムツを替えてくれ

午前九時。
バッシャバッシャと破水をしたのをキッカケに、猛烈に腹が痛くなる。
しかし、痛いのは陣痛の波がきているときではなく陣痛の波が去ったとき。
陣痛の波がきているときの痛みは、ちょっと腹を下した程度の痛みで、大したことがなかった。
そして波が去るとやってくる謎の痛み。これが痛かった。たとえるなら、肉叩きで股間を内側からグリグリとやられているような感覚。
「モニターずれてませんかこれ」と助産師に聞くと、ずれてませんよと返される。えぇ……。
そして不快だったのが、破水によって出てきた羊水で常に下半身がおもらし状態だったこと。
産褥ショーツという、マジックテープをベリッと剥がすと股間がお目見えする特殊下着は、羊水でぐっしょぐしょ。
もう股間丸出しで構わないから脱いでしまいたかった。
あぁ、母になるってこういうことなのね。
オムツを替えて欲しくて泣く赤子の気持ちがわかったような気がした。

午前十時半ごろ。
医師が様子を見にやってきた。
股間に手を突っ込むと「もう赤ちゃんの髪の毛出てきてるわ」と。
看護師さんに導かれて、分娩台のある部屋までおもらししながら歩く。
分娩台にのぼり、ぐしょぐしょに濡れた産褥ショーツとオサラバすると、いよいよそのときがやってきた。

いざ出産。「鼻からスイカ」のはずが……?

出産と言えばよく聞く表現が「鼻からスイカを出すような痛み」というやつである。
ウワァさぞかし痛いんだろうなァと思いながら大股を開いて、あたふたと準備をしてくれる医師や助産師を待つ。
このころはすっかり痛みなんか引いていた。

いざ分娩。
立ち会いのダンナが横につき、いざ出産。陣痛と一緒にいきんでくれと言われるも、相変わらず陣痛がよくわからない。
「陣痛がよくわからないので、それっぽいところでせーのって言ってもらっていいっすか」と医師に言うと、「こんなに穏やかな出産ないよ」と爆笑された。
タイミングもなにもよくわからないまま四回いきんだら、するっと産まれた。
サザエを貝からはずすときのあの感じに似てる、と思った。にゅるっと。
産院についてから9時間22分、分娩台にあがってからムスメに会うまで、わずか11分。
実にちょろい出産だった。

四泊五日の入院生活を終えて、ムスメを連れて無事退院。
六人部屋の利用で、実費でかかったのは15万ぐらいだった。

陣痛は痛くなかったなんていうと驚かれるけれど、出産も陣痛も十人十色。
三日三晩寝込む人もいると聞くので、わたしのように「大したことなかった」なんていう人は珍しいのかもしれない。
なぜそんなに安産だったのか。
そう聞かれることがあるけれど、こればかりはもう個性としか言いようがない気がする。
体重は初期に悪阻で10キロも減ってあっさりと戻り、そこから10キロ増……と、20キロも増減しているので、ちっとも褒められた妊婦ではなかった。
さらにいえば、切迫早産で三回も入退院をしていて、マタニティヨガやスイミングなどに精を出すことはおろか、体を起こすことさえ制限された絶対安静の寝たきり生活。
ムスメのサイズは3300超で、特に小さいわけでもなかった。

強いていうのなら、お世話になった医師が「腹式呼吸が上手な人はいきみ上手」と言っていたので、吹く楽器をやったり、若いころに歌をうたってきたりしていたのが功を奏したのかもしれない。
かたちはどうであれ、無事に生まれてくれたムスメに感謝。

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