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#2 スパルタ編 〜コテンラジオを聴いて〜

こんちには、ぱんさくです。
前回の「吉田松陰編」から、少し間が空いてしまいましたが、今回はCOTEN RADIOの「スパルタ編」について書き綴っていこうと思います。

日本史は全く知識がない私ですが、世界史は割と得意なほうだと思っています。
大学受験の二次試験の科目でもあったので、当時は一生懸命勉強したつもりでいたのですが…。改めてラジオを聞いてみると、私の知らなかったスパルタ人の世界がたくさん見えてきました。
(今回は、サムネイル?画像を頑張って自作してみました!なかなか楽しかった!)


1. COTEN RADIOの内容まとめ

「スパルタって?あのスパルタ教育のこと?」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。実際、スパルタ教育という言葉は、彼らが行っていた厳しい兵士教育からきているようです。
それではCOTEN RADIOの内容を踏まえ、スパルタ人って一体どんな人々で、どんな生活を送っていたのか、簡単にまとめていこうと思います。

1-1. スパルタ人ってどんな人々?

古代ギリシャには、”ポリス”と呼ばれる都市国家が乱立していました。その一つがスパルタなのですが、深井さん、ヤンヤンさんに言わせれば、彼らは『ぶっとんだ教育』を行っていたようです。
基本的に、男児はみな勇敢であり、兵士として戦うことを求められたようですが、「一体どんな人生をおくってたんや…」という方のために、スパルタ人の一生を年表形式でまとめてみました!

【スパルタ人の一生】--------------------------------------------------------
0歳 古代ギリシャの都市国家、スパルタに誕生!
 →体が小さかったり、弱かったりすると、戦士に適していないとみなされ殺されてしまう…

7歳 健康に育った男児は、親元を離れ、兵士になるための機関で共同生活を行う
 →この時に与えられるのは、体を隠せる一枚の布切れだけ…
  風邪をひいたりすると、戦士になれないとみなされる

20歳 厳しい訓練に耐えぬいた人々は、ここでやっと戦場デビュー!
 →これまでの期間はひたすら戦術を学び、軍人としてのエリート教育を受ける

30歳 7歳以来、やっと家族の元に帰ることを許される…がしかし兵役はつづく

60歳 兵士としての定年を迎える!
 →ここまで兵士としての人生を全うし、生き残った人々は議員となり国政を担う
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ラジオでお話しされていた内容は、ざっとこんな感じでした。
なんというか…。壮絶!の一言に尽きますね笑

スパルタ人の男性は、戦うために生まれ、生き、そして戦場で死んでいく。
そんな人生を送っていたようです。
彼らを産んだ母親たちは、自分の子どもの訃報を受けると、戦場に子供の姿を見にいって、その体についた傷の様子や数を確認したのだとか。そして、子どもの体についた傷が多ければ多いほど、「戦士として立派に戦った」と誇りに思っていたということです。
母親たちなりの、せめてもの弔いのような意味もあったのかもしれませんね。

1-2. スパルタ人の生活を垣間見る

さて、ここからはスパルタ人の実際の生活について触れていきたいと思います。

COTEN RADIOでは彼らの性生活、そしてご飯事情について語られていました。
彼ら、というか古代ギリシャ世界では、男性は基本的にバイセクシャルだったそうです。特にスパルタは、7歳から男性だけの世界で共同生活をしているので、男性同士のカップルがとても多かったのだとか。
詳しくはぜひCOTEN RADIOを聞いてみてくださいね。

スパルタのご飯事情についても言及がありました。
ギリシャと言えば、オリーブにブドウ、そして小麦が三大農作物。パンやワインを楽しむ美食家のようなイメージがありますが、スパルタ人はどうやらご飯を食べるときも強い兵士になることを最優先としていたようです。

スパルタで食べられていた料理に、ブラックスープというものがあるのですが、これがものすごくおいしくないらしい。。黒いスープに肉の塊が浮いているという代物で、他のポリスの人々からは受け入れがたいものだったようです。
確かにタンパク質はたくさんとれそうですが、それにしてもなぜスープの色が黒くなるのか…ちょっとわかりかねますね。。。
この時代の日本に生まれて、本当に良かった!しみじみそう思います笑

2. 古代ギリシャ世界について調べてみた!

スパルタの話を聞いていたら、古代ギリシャ世界についてもっと深堀りしたくなってきました…。
どんな時代だったのか、包括的にみてみたい!と思い、図書館へ。すると、『一冊でわかるギリシャ史』という本が目に留まりました。
古代から現代までの概要をわかりやすくまとめてある本で、とっても読みやすかったです。

ここからはこちらの本の内容を参考に、古代ギリシャの歴史についてまとめていこうと思います。

2-1. 古代ギリシャで興った文明

ギリシャは、バルカン半島の南端やエーゲ海に浮かぶ島々を中心に発展してきました。その一帯は年間を通して比較的温暖で、雨も少ない「地中海気候」だそうです。また山岳地帯や、小さな島が多く、農耕や大きな都市の建設には不向きな土地柄でした。
しかし、海上交通が発達していたため、メソポタミアや西アジアなどの周辺地域から高度な文明が伝わりやすく、その影響を受け古代ギリシャでも文明が発展していったようです。

紀元前2600年頃、エーゲ海に浮かぶ最大の島であるクレタ島で文明が形成されていきます。紀元前2000年頃には、クレタ島中央北部のクノッソスというところに、宮殿が築かれています。
この宮殿跡を含む遺跡は、まるで迷宮のように複雑な構造をしていたそうです。
ダンジョンみたいで楽しそうですね笑
この文明を、とあるギリシャ神話にちなんで、ミノス文明といいます。
ミノス文明では、線文字Aと呼ばれる文字が使用されていました。こちらは資料が少なく、まだ未解読ということです。

線文字Aを用いていたミノス文明はこの後、線文字B(解読済み)という文字を使用していた人々の侵出によって衰退したと考えられているのですが、その人々は、ペロポネソス半島を生活圏としていた人々だといわれています。
そして、ペロポネソス半島のミケーネで、紀元前1600年頃の遺跡が見つかったことから、これをミケーネ文明というそうです。
ミケーネ文明の遺跡は、ペロポネソス半島の他の都市や、クレタ島でも見つかっています。

2-2. 文明衰退…色々あってポリス誕生!

そんな繁栄の中、ミケーネ文明は紀元前1200年ごろから急速に衰退していきます。高校生の時に、この時の衰退は”海の民”の侵入によるものだ、と習ったのですが、最近の見解ではこの説は有力ではなくなっており、未だはっきりとした衰退の理由はわかっていないそうです。
ミケーネ文明の衰退以降、紀元前800年頃までは、残っている資料や遺跡が少ないため、ギリシャ世界における暗黒時代と呼ばれていました。しかしこの頃に製鉄技術が伝わり、ギリシャを含む東地中海の様々な民族が鉄器を扱うようになったという背景から、この時代を初期鉄器時代と呼ぶことが多くなっているようです。

そして紀元前800年頃、ここでやっとエーゲ海沿岸部に”ポリス”という都市国家が築かれます。規模はあまり大きくなく、1ポリスあたり数百人から数千人くらいだったようなのですが、やはり今回のテーマのスパルタや、有名なアテナイ(アテネ)は結構大規模なポリスだったようです。
ほかにも紀元前8世紀半ばから、紀元前6世紀半ばごろまでは「大植民地時代」と呼ばれ、古代ギリシャ人たちが地中海の各地に移住し、植民地を築いていきました。
現在でいうナポリやマルセイユ、イスタンブールなどの都市もこの時期に古代ギリシャ人たちが開拓したそうです。

この後、ギリシャ対アケメネス朝ペルシアとの戦いがあったり、スパルタとアテナイが戦争したり、アテナイに勝ったスパルタが衰退していったり、いろんなことがあるのですが、とても書ききれないので、このくらいにしておこうと思います。
以上が本当にざっくりとした歴史の流れでした。

3. まとめ

本当は民主制の話や哲学の話など、もっとたくさん書きたかったのですが、頭の中で全くまとまらず、こんな感じになってしまいました。
おそらく民主制の話はまた触れられると思います。哲学も最近、少しづつではありますが勉強し始めたので、近々noteにまとめていきますね。

実は『11の都市が語る歴史』という本も読んでいて、こちらでスパルタの民主制に関する面白い記述があったので紹介します(COTEN RADIOでも言及されていました)。

ポリスでは市民によって民主制が行われていたのですが、各ポリスによってその運用は異なります。スパルタでは全ての人(男性のみ)に平等に投票権が与えられていたそうなのですが、賛否の意思表示の仕方は投票箱に票を入れるといったものではありませんでした。。。
なんと、大声で叫んでその声の大きさで採決していたのです。
本当にどこまでもスパルタ、ですね笑

noteに聞いたこと、読んだことをまとめるのはかなり骨が折れますが、やっぱり頭に残りやすい気がします。ついつい長くなってしまうのですが、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
私もスパルタを見習って、実直に精進していきたいと思います。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!


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