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「人生は何が起こるか分からない。だから面白い」と人は言うけれど

「人生は何が起こるか分からない。だから面白い」と人は言うけれど、疲れ切った人間にそんな言葉は響かない。

これからの未来にどんなことが起きるのか。
明るいこと、暗いこと、想像だにしないこと、とんでもないどん底、色々なことが起こり得るけれど。そういったことが目に浮かぶだけでもう、抱えきれない時があるのだ。
いっそのこと、全部分かってしまったうえで人生の歩みを進めたらいいのに。それぐらい毎日を生きて、何かを更新していくことがしんどい。社会人になった今、そう思うことが増えた。

こんな精神状態になると私は決まって父親の言葉を思い出すようにしている。閉じたままだった窓を開けて、吹き抜けた風に名前をつけたくなるような気持ちになるのだ。

それはちょうど10年前のこと。私が高校3年生で、第一志望の大学入試を終えて合否発表が出るまでじっと堪えていた頃だ。

試験日から一週間程度で合否発表が出るのだが、発表が出るまでのこの一週間に私はとても追い込まれていた。

もう試験を終えているのだから、この一週間で何か努力をしても未来は変わらないだろう。しかし結果が気になるあまりいろいろなことが手につかなかった。(今でもこういう性格)

この試験でダメだったら第一志望は難しかったので合格を強く願う気持ちと、早く受験勉強から解放されたい怠惰な気持ちと、引き続き受験勉強に打ち込めるよう己を律する気持ちと。これら感情がぐるぐると渦巻いて、目に見えない心身の消耗が続いた。
毎日眠りが浅く、凄惨な夢を見た。(私は追い込まれると人に追い掛け回されたり、殺される夢をよく見ます)

そんなこんなで気疲れしている私を見て、父親が声をかけてくれた。学校のある朝、ふたりだけで朝食を摂っている時だ。(母親は弁当の支度をしており、妹はまだ寝ていた気がする。)

「今、試験結果が気になって仕方ないとは思うけど、結果はもう決まっとるんやで。これからどの大学に行って春からどんな生活をするかは運命としてもう決まっとる。あんたはそのまま突き進んでいくだけや。人生自体、選択の連続に思えるかもしれやんけど、生まれた時からもうずっと、神様みたいな大きな力みたいなもんに導かれとって、あんたはその道筋に沿って淡々と歩みを進めているだけ。そんなに思い悩まんくてもいいよ、身を任せるだけなんやから。」

当時の私はこの言葉で気持ちが楽になったことをよく覚えている。結果を待つということに、もう悩まなくていいと思った。
10年前の出来事なので言葉が一言一句合っているわけではない。だけどこんなニュアンスだったのは確かである。(文字として書き起こすとなんだかカルトっぽいかもしれないけど、全然そんなことはない。父親も私自身も無宗教である。)

結果として私は第一志望の大学に合格し、春から山梨県での新生活が始まった。巡り巡って今は長野県で働き、結婚をしている。
社会人になってから実家に帰省したある時、父親に「あの時こう言われて救われたんやよ」と話すと本人は全く覚えていないということだった。ちょっと寂しいような気もするが、でもその事実が丁度良いなと思った。

「人生は何が起こるか分からない。だから面白い」と人は言うけれど、不安症で気持ちの切り替えが苦手な私には「面白い」と感じる余裕がない。
だから、「人生は何が起こるか分からない。だけど誰かの作った脚本通りに事は進んでいるから、身を任せていればいい」ぐらいに思って生きることにしている。
それは常に思っているわけではなく、行き詰った時にそう思っておけばいいぐらいにしている。

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