猫

私の経験した現実化(引き寄せ?)-海外移住編2

前回の続きです。

NZへ立つフライトの前日にジョブオファーがきました。収入はすごく低くて年45000ドル。ここから税金が引かれるので、手にする額はもっと少ない。でも、収入がが全くないよりは少なくても収入があるほうがまし!よかった!

で、翌日子供2人と大荷物で空港に向かいました。カートから零れ落ちるほど荷物があってチェックインカウンターに行くのも一苦労だったな。チェックインカウンターで大問題発生。片道切符しかもってなかったんですよ。だって向こうで住むんだから。私はビザがあるからいいけど、子供はビジタービザしかその時点では持っていないのが問題でした。ビジターは往復航空券が必要だって。その場で、スマホでとりあえず帰りの便の予約を試みるが、データローミングスピードが遅すぎる。近くに有料のインターネットとパソコンがが使えないかと探すと見つかった。コインがいる。コイン持ってない。近くの売店に走り小銭を作る。パソコンで航空券サイトで帰りの便を予約する。チェックインカウンターに走り、予約情報を伝える。この間、小一時間くらいかなあ。小さい子供をつれてかけづりまわったよ。やっとのことチェックイン完了。もう、くたくた。NZの空港で何か言われないか不安が募る。入国できなかったどうしよう。

11時間のフライトを経て、オークランド空港に着く。子供たちはまあまあ元気そう。入国審査は不審がられずに通過。大荷物をカートに載せて、出口へ。事前に打ち合わせていた通り、NAさんが待っててくれた!ハグをする。1年ぶりに会う(前年、私は子供とNZ旅行して、その時彼に7年ぶりに再会したのです)。私は英語をしゃべることに緊張してるけど、ほっとした!NAさんの車に荷物は入り切ったので一安心。モーテルに向かう。彼にこれまでのどたばたや父に毎日責められたことなどを話した。

翌日は中古車を購入した。携帯電話の契約、車の保険の契約もした。銀行は使える。NAさんは彼が出張中に使うモーテルに2晩私たちを泊まらせてくれて、私たちがまずやるべきことを手伝ってくれた。

子供たちは、初めての英語環境、見慣れない環境、私の緊張と不安を感じ取っていたけど、まあ大丈夫だった。

モーテルを出たあとはエアーB&Bに移動して、家探しだ。慣れない車の運転をして。エアーB&Bに10日泊まる。この間に家を決めなければならない。NAさんが毎日電話やメールでフォローしてくれた。毎日、ネットで検索して安い物件を探し(といっても東京よりずっと高い。3人で生活できる物件は最低14万くらい)、内見を予約して見に行った。NZは日本と違って賃貸契約は早い者勝ちではない。内見は基本1回だけで、その時間に何組もの世帯が見に来て、気に入れば申し込むシステムだ。持ち主が申込者から気に入った人を選ぶ。競争的なのである。内見に行くと、他にもたくさんの人が来ている。合計、4か所に申し込んだ。申込書類も推薦人やら雇用主、収入やらいろいろな情報を記入しなければならない。毎日やきもきしながらもエアーB&Bを出るぎりぎりのところで1か所採用された。不動産エージェントと持ち主が中国人で、私たちが日本人だったから信用されたのかもしれない。他の3か所は見事落選だった。もし、ジョブオファーがなかったら賃貸契約は相当難しかっただろう。

この間、雇用主に会いに行って本当に雇用契約ができるのが確認した。これまでメールでの口約束しかしてなかったから。雇用してくれるらしい。よかった。子供が生活に慣れるまではパートタイム(1日5時間)で働きたいとお願いしたら、快く受け入れてくれた。その分、さらに給料は下がる(涙)。給料が生活費に比べてあまりにも安いので上げて欲しいとメールでファイナンス担当者に言ったがだめだった。

エアーB&B滞在の後半、下の子はヘルペスが顔にでて、機嫌と体調が悪い。私も疲弊した。

賃貸物件に即引っ越しできるみたいなので、即引っ越した。家具や電化製品はない。とりあえず、寝具と暖房器具(真冬だったから)を買って住み始めた。次は家具と基本的な電化製品だ。ネットで日本人の帰国セールを探す。ちょうどよく、家具やら生活を始めるためのものが一そろい売っているガレッジセールにいって、買うことにした。すぐに運送を手配する。他のガレッジセールにも行って、足りないものを足していく。最低限のものがそろって生活できるようになった。このころ、私もヘルペスが体中にできる。あまりにひどいのでクリニックにいって抗ウィルス薬をもらう。

次は、子供のビザと学校だ。もうすぐ学校が2週間の休みに入るので、その間にビザを申し込む。健康診断やらいろいろな書類を集めた。永住ビザ申請中であれば、子供はこちらに居る子と同じ条件、つまり無料で学校に通える。ビザを申請して、学校も申し込む。休み明けから上の子は小学校にかよった。英語がわからないのに、毎日文句ひとつ言わずに学校にいった。下の子の保育園もいくつか見に行って、学校に近い場所に落ち着いた。

私はNZ上陸から1か月半後に、仕事を始めた。子供は保育園と小学校、私はパートタイムの仕事をするという日常が始まった。子供たちは本当によくやってくれたなあ。なんてけなげでたくましいんだろう。特に上のこは英語がわからないのに、毎日楽しく学校に通ってくれた。他の英語のできない子とすぐに友達になって、助け合っていたんだろうな。お母さんを助けたいって思ってたんだろうな。下の子はまだ2歳だった。

つらつらとこれを書いていて、私はよくやってのけたなと思う。とてつもないエネルギーを使った。実際、疲弊して病気になったし。

このときは、やれることを必死でやっただけだったんだけど、結果的には賃貸物件も学校も保育園もとてもよかった。住んだ場所はNAさんが出張で使うモーテルの近くだったから、彼が出張に来るたびに私たちの家に顔を出してくれて精神的な支えになってくれた。私の仕事は足元を見られて安月給だったし、職場の人はあまりいい人ではなかったけど、就業時間が短かったから子供たちの生活の初めるにあたってはやりやすかった。

生活費に比べて月給が安すぎたので、毎月預金が2000ドル(16万くらい)ずつ減って行った。私の貯蓄が持つのは2年程度。その間に子供の永住ビザさえ下りれば、第1目標はクリアだ。でも、私はもっと長くNZで暮らしたかった。仕事を始めてすぐに就職活動を始めた。

この職場では10か月働いて、運よく次の職場に移った。就職活動中に面接には5回ほど行ったかな。今の職場はすばらしい。時間も場所も超フレキシブルだ。給料は十分ではないけど、貯蓄に頼らなくてよくなった。人もよいひと。私のキャリアに役立つ。パーフェクトすぎる。

一歩を踏み出したときは一寸先は闇だった。でも、踏み出すごとに踏み石が現れてくれた。そんな感じ。インディジョーンズ最後の聖戦でインディが試練を受けるシーンがあった。彼は崖っぷちから空に向かって一歩を踏み出す。すると踏み石が現れて、踏み出すごとに道ができた。まさにthere is a will there is a way.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?