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「こりゃ、旦那にっちもさっちもいかねえですだ、まったく。」

まったくまったく。
フロドとサムの行程と同じくらい、読みがすすみません。

J.R.R.トールキン著、瀬田貞二・田中明子訳、『指輪物語 二つの塔 下』(評論社、2003年)

読みすすまないのは、まったくもって、フロドやサムと同じ気持ちだからです。
先に進みたくない。
モルドールのほうに近づきたくない。
寒くてむき出しの、敵意に満ちた道を歩いていきたくない。

しかもスメアゴル付きで。

スメアゴルを縛り付けたのは指輪の存在ですが、「スメアゴル」という彼本人も忘却の彼方にあった本名を呼ばれたことが、一番の枷になったようにも思います。
イギリスにも、「真名を知られると魂を縛られる」という概念があるのでしょうか。

旅の中で、フロドとサムの関係性は刻々と変わっていきます。
フロドは、もはやサムなしで前へ進むことはできませんし、サムは旦那を支えることしかできないのです。
スメアゴルが現れたことで、フロドの行動の意思決定はある程度スメアゴルに委ねられることになりますが、フロドもサムも警戒を緩めません。
ですが、指輪所持者として、指輪の誘惑と支配の力を強く感じているフロドには、スメアゴルが憐れに映ります。
かつてのビルボが、そこまで考えていなかったにしろ情けをかけたのと同じように、フロドも自分では手を下せない、と考えます。
サムはそんなフロドの気持ちを押しはかることしかできませんが、旦那の決めたことなら精一杯従うのが、彼の在り方です。

この辺、映画の改変が許せないんだー。
フロドとサムは、指輪ごときに仲を裂けるような軽々しい絆じゃないんだーー。

むしろ、フロドの心に湧き上がる疑念や不安、迷いといったものを、持ち前の明るさで吹き飛ばして元気付けるのがサムの役目です。
決して、引きずられて一緒に絶望するやつではないのですよ。

食べ物のはなし

ところでわたしは、イシリエンでひとときの休憩をする光景が大好きです。
兎のシチューを作って、料理に文句をいうゴクリにサムが、「揚げた魚とじゃがのチップス」の話をするところ。
昔は「いいなあ、美味しそうだなあ」と思って読んでいたのですが、イギリスに行った今は「それただのフィッシュ&チップスやんけ!」とツッコんでしまいますよね.
ほんとさ、イギリスの作品て食べ物の描写がめちゃくちゃ美味しそうなのに、実態を知ると「なんだこれか」と思うこと多くありません?
なんで?
なんでその美味しそうな描写を、実際の料理の味と出来栄えに生かそうとしないの?
なんでなのイギリス??
いや、フィッシュ&チップス好きだし、日本でイギリスほどおいしいもの食べたことないけどさ。
そう言うことじゃなくてさ。

ファラミア

この度でのもう一つの出会いは、ファラミアとの出会いです。
ボロミアの弟、いまではゴンドール執政の継承者、勇敢な武将にして智将。
ファラミアは、ボロミアとは正反対の行動をします。
フロドの持つものの正体を見抜き、そしてそれを棄却する旅を、無謀と呼びながらも全力で助けようとするのです。
かれは指輪を武力として用いようとはしませんでした。
自分のために奪おうとしませんでした。
望みのない旅のほうが、ゴンドールの行く末よりも重要だと理解していました。

ここまではっきりと、正反対な兄弟も珍しいでしょう。
というか、この作品において「兄弟」というものがおよそ描写されていないのですよ。
「兄弟」であるかどうか、血のつながりがあるかどうか、そういうことは関係なく、指輪に対してどのような行動をとるのか。
この物語が焦点をあてているのは、この一点のみです。

そう言う意味で、ボロミアとファラミアの対比は、イリルドゥアとあらごるんにも当てはまるのかもしれません。
たとえ血を引いていようとも、イシルドゥアとアラゴルンは違う。
アラゴルンは、指輪の誘惑を振り切って王として故国へ帰る道がまだのこされている。

ボロミアとファラミアが示したのは、そう言うことかもしれません。

だから!
わたしは!
映画のファラミア改悪が許せないんだあ!!

奥方

この作品で「奥方」と呼ばれるのはふたりしかいません。
ガラドリエルの奥方と、シェロブの奥方です。
これまたなんという対比。

いまでは中つ国で一番力のあるエルフであるガラドリエルと、サウロンよりも以前から存在する太古の悪のひとつであるシェロブが、「奥方」であるとは。
事実、シェロブ戦は間接的にガラドリエルの光とシェロブの闇の闘いでもあります。
ガラドリエルから与えられた玻璃瓶の光と、のしかかってくる太古の闇の戦いです。
フロドが毒に倒れ、死んだものと思われたとき、サムは旦那のそばにいて共に果てることと、旦那の役割を引き継ぐことの洗選択を迫られます。
そして、ガラドリエルの光に勇気づけられて、指輪をその手に取るのです。

サムについて

それは決して、サムが望んだ道ではありませんでした。
しかし、サムは指輪を使ったにも関わらず、指輪に支配されることなく、フロドがまだ生きていることを知るのです。

サムはある意味で、自分というものをよく知っている、自分自身の主人なのかもしれません。
トム・ボンバディルのようにとはいきませんが、サムはあらゆる賢人よりも、指輪の影響を受けませんでした。
それはサムが、自分の役目は旦那を助けることだとしっかり自覚していたからでしょう。

だーかーらー!
映画でのサムの改悪をわたしは!
許せない!!
サムはフロドを見捨てたりしないんだ!!

さて、『二つの塔』映画は見てきたんですけど、まだ読み終わっていないんですよ。
早く読んで『王の帰還』に間に合わせたいです。
できるのか?
すごく無理な気がしてきた。
がんばります。


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