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なにわ男子「New Clessic」を絵解く

ヘッダーに使ったのは、「なにわ男子」(STARTO所属)の最新楽曲「Alpha」(アルファ)の、「Official Music Video」から拝借したものだ(アルファがあればオメガがあるはずだろうと、クリ時旅人としては突っ込みたくなる😁)。

しかし、今回は「Alpha」ではなく、彼らが今年の3月29日金曜日(たまたまキリスト教の世界的な暦では「聖金曜日(イースター=キリスト復活祭=の日曜日の直前の金曜日)」にネット上でOfficial Music Videoがリリースされた「NEW CLASSIC」について語りたい。
(後に、なにわ男子の3rdアルバムCD、DVD「+Alpha(プラスアルファ)」に、「Alpha」「New Clessic」両曲共に収録された)

なにわ男子の「NEW CLASSIC」Official Music Video。

教会堂の前で歌う体(てい)のなにわ男子(「Alpha」MVより)

まず、歌詞をそのまま紹介したい。

NEW CLASSIC
1番

気持ちはまるで冒険者
運命を変えてく旅立ちさ
螺旋(らせん)に巡る未来へと飛び込んで

荒波 帆を出せ 未知なる風が吹く
何度でも始まり 終わらない旅路

君はきっと待っている

飛び越えて Classic
一緒に鳴らそう We make it

胸のときめき ドキドキ止まらない
Classic 永遠に 響かせる Magic
世界中に叫ぶのさ Be alright!

新世紀の Music 協奏の Symphony
最上級のHappy 届けに行こう

新世紀の Music 協奏の Symphony
世界中驚かせて Be alright!

2番
続いてゆくよ冒険は
想像を超えてく毎日さ
纏(まと)わりつく昨日(きのう)なら
もう置いて進むよ With you

正論揉まれて 現実絡まって
「理想のまま進めばいい」って
あのときの君の声がする
きっと変わらない このまま

揺るがない Classic
ここに鳴らそう We make it
色とりどり ドキドキ奏でたい

Classic こんなに湧き上がる Feeling
世界中に重なれば Be alright!

リフレイン
荒波 帆を出せ 未知なる風が吹く
何度でも始まり 終わらない旅路
君はきっと待っている

飛び越えて Classic
一緒に鳴らそう We make it
胸のときめき ドキドキ止まらない

Classic 永遠に 響かせる Magic
世界中に叫ぶのさ Be alright!

新世紀の Music 協奏の Symphony
最上級のHappy 届けにいこう

新世紀の Music 協奏のSymphony
世界中驚かせて Be alright!

世界中に叫ぶのさ Beー alーright!

個人的な、「好いたはった」を歌うだけの楽曲と一線を画した「大きな曲」だと思う。往年の肩ひじばった「メッセージソング」とも違ってカジュアルに、しかし、世の中のあり方、人間としての生き方を問うた歌のように感じる。

「螺旋(らせん)に巡る未来へと飛び込んで」という歌詞は一般の歌謡曲ではなかなか出てこない歌詞だと思う。螺旋なんて・・・🤣。

螺旋階段というのがあるが、要するに、同じところをぐるぐる回っているように思うが、実は一周回るたびに、少し上の地点に到達しているのである。

らせん階段の例

これは、人類の歴史ってそういうもんじゃないの?ってことだ。このメタファーはこれまでよく使わたものだ。

その螺旋に進んでいく歴史を、「未来」に適用するとどうなるか?
これまでと同じことを虚しく繰り返しているように見えて、これまでよりは「善い」地点へと進んでいけるのだ!というメッセージなのだ(もっとも「逆」に進むと、悪い地点に進む)。

だからこそ、「気持ちはまるで冒険者」であり「運命を変えてく旅立ち」なのであろう。

そして「荒波 帆を出せ 未知なる風が吹く」「何度でも始まり 終わらない旅路」なのだ。螺旋に巡って「また同じようなことを繰り返している」と思っても、いま実際にリアルに生きる自分たちにとっては、過去に似たようなことがあったことでも「初めて」体験することなのだ。それを楽観的に捉えれば、胸がときめき「ドキドキ止まらない」のだ。

しかし自分にとって初めてでも、過去の歴史の中に、それをすでに体験し、そこから本質的な教訓を学び、そういうものを書き記したものがある。

そういう知恵たちの中で、時の試練を経て、生き残り、読みつがれれてきたものが「古典」である。CLASSICである。

CLASSICをクラシック音楽という面から表現しているのも興味深い。つまりこの曲の冒頭の音楽は、クラシック音楽の中でも有名どころ、ビバルディという作曲家の作った「四季」という曲の第1楽章「春」の冒頭部を、バイオリンやチェロといったクラシック音楽の奏者たちが奏でるところから始まるのだ。

(「春」というテーマはこれまで世界で起こった「プラハの春」「ソウルの春」「アラブの春」といった歴史的出来事をも想起させ、そのテーマ設定自体がメッセージ性を帯びていると思わざるを得ないが、それは後に記す)

参考 ヴィヴァルディ「四季」・春(甲府室内合奏団、
指揮・長田雅人、ヴァイオリン独奏・竹原奈津)。
1分17秒から曲が始まる

しかし「NEW CLASSIC」はすぐに、「春」のパクリでない独自のメロディに入っていく。
しかし注意深く聞いていると、終結部あたりで、バイオリン奏者たちのトレモロ(震わせながら弾く奏法)が、なにわ男子が歌うメロディの背後で存在感を示している。これは「春」の中に出てくるメロディに倣ったものだろう。

なにより、「NEW CLASSIC」MVに映っているクラシック奏者たちはタキシードという出で立ちであり、その奏法は背筋のビシッと伸びたクラシックのそれであり、曲の最後に、弓を上に上げて「終わり」を示す挙措も、クラシックコンサートで見られるようなものだ(その彼らの動作と共に、なにわ男子たちの歌とダンスも終わる)。

書きかけ また見に来てね😁

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