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かつて欝になったいきさつ。過去を後悔しすぎて(暫定2

2017年
腎臓で45日間(1月18日から)、緊急入院した際は、メンタルは元気だった。「意気軒昂」なくらいだったのである。

退院してしばらくもそうである。

ところが退院してから、旧知の知人や、他の人々と、自分を「比較する」というようになった。

自分は、この年齢になって、当然身につけているべきような生活習慣すら身についていないし、また当然到達しているべきような立場に達していないではないか。
いったい何をしているのか、してきたのかと「気付いて」しまった。

腎臓の病にしても、自分の不注意によったものだと改めて強く認識してしまった。

そしてそれらの状況になった原因を、一つ一つのことがらについて分析し、「掘り起こして」いってしまったのである。
「あの時、あの判断をしたのが間違いだった」「あの人のアドバイスに耳を傾けなかった」・・・。

さらに、その「原因の原因」を掘り起こす、そして「原因の原因の原因」・・・。これはもうきりがない。
それをいろんなことについて、記憶をどんどん掘っていってしまった。

さて、そういうことが始まって、1、2か月も経ったころだろうか。

例えて言うなら、過去の後悔を、「脳ミソにドリルで穴を開けるように」どんどん掘り進んでいる、その時に「開いた穴」だけが残って、その思考を止めた後も、その「穴」だけが強く残っている状況になった。

その時は、「一晩寝れば元に戻る」と思って眠りについた。

そして次の朝、「穴」はそのまま残っていた。
それでも、「まあ、何日か経てば治るだろう」と軽く考えていた。

ところが2日経っても、3日経ってもアタマの「穴」は消えない。
非常に焦りだした。
「自分は欝になったのだ」と気付いたのである(正式の病名が医師からつくのは後日のことである)。

そこから脱出できたのは1年少し経ってであった。

しかし欝に陥った当初は、「自分はもう一生、こういう状況なのだ。ただ生きているだけで、なんにもできない身になってしまったのだ」とまで悲観していたのであった。
そこからどう脱することができたか。続けて振り返って記してみたい。

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