見出し画像

コラム15「復帰46年目のオキナワ。」

**2018年5月19日(土)
八重山日報・沖縄本島版

※※コラム『ちゅうざんの車窓から』※※

NO.15「復帰46年目のオキナワ」**

** 去る5月15日は沖縄返還から46年目の記念日でした。沖縄県民にとっては忘れられない日ですが、近年は、敗戦直後の1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還までの27年間、この島がアメリカ合衆国の統治下にあった事実を知らない世代も増えているようです。沖縄の日本復帰に伴い、通貨はドルから日本円に切替えられ、道路交通ルールはアメリカの右側通行から日本の左側通行に。米軍統治期間は制限のあった県外渡航も、パスポートなしで可能となりました。

 世界史で振り返ってみても、戦争で失った領土を平和的な話し合いによって、しかも短期間のうちに祖国に復帰したケースはほとんど例を見ません。一度失った領土を外交交渉で取り戻す事がどれほど難しいかは、北方領土や竹島の現状を思い浮かべれば、容易に理解できるでしょう。事実、香港はアヘン戦争の結果、1898年からイギリスの植民地となり、中国に返還されたのは99年後(約一世紀!)の1997年だったのですから。それに比べて、僅か27年でアメリカから日本に祖国復帰を果たした沖縄。そこには、祖国復帰運動に立ち上がった多くの先人たちの姿があります。

 当時の米軍と県民の衝突、反米・反基地運動の激化、安保闘争の盛り上がりに伴い蔓延する反日活動家、ベトナム戦争、日米政府による財政交渉、沖縄と本土間の経済格差に対応するための「沖縄振興策」の施作など、山積みの課題を乗り越えて、奇跡の祖国復帰を果たしたのは、先人たちの人生をかけた努力があってこそ。

 復帰から46年たった現在でも、基地問題をめぐる混乱は続いていますが、沖縄を取り巻く環境、外国との関係性は日々変化しています。先日発表された史上初の米朝首脳会談も実現の可能性は正直怪しいですし、南北首脳会談で平和的ムードを強調した韓国と北朝鮮も歴史を振り返れば楽観視はできません。これらの現実を直視して、沖縄が米軍基地を抱える意味や理由と向き合うべきではないでしょうか?祖父母や両親の世代から受け継いできた沖縄を次世代につなげるために。感情論ではなく、建設的な未来をデザインするために。平和を愛する沖縄の皆さまと一緒に私も向き合っていきたいと思います。**

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?